朝ドラ「風、薫る」妻を苦しめた愛人問題…りんの夫・奥田亀吉(三浦貴大)の実在モデル・渡辺福之進の生涯:2ページ目
翌慶応4(1868)年1月には鳥羽・伏見で、新政府軍と旧幕府軍が衝突。新政府軍が勝利を収め、新たな時代を迎えます。
このとき、黒羽藩では藩主・大関増裕が死去。一説には旧幕府に付けずに自害したとも伝わります。
藩主死後、黒羽藩は明治新政府軍に恭順を表明。このとき、福之進は黒羽藩兵の二番隊隊長として、新政府側の一員となって参戦しています。
福之進は家柄だけでなく立場や能力を買われ、藩の将来を左右する立場になっていたことになります。
妾5人!本妻1人…福之進のダメンズぶりが歴史を変えた?
明治維新を迎えた日本において、武士たちの暮らしは大きく変わっていきます。
明治政府は、国防のために国民皆兵路線を断行。武士たちには廃刀令や秩禄処分を行なってその特権を奪っていきました。
武士たちの多くは、軍人や警察、あるいは他の職業を選択。新たな道に歩んで成功する者も出ます。
福之進は能力や経験を活かしてか、陸軍省に出仕。陸軍少尉補、陸軍少尉となって要地である東京鎮台や熊本鎮台、広島鎮台で働きました。
少尉といえば、将校と言える身分です。
古い時代に武士であった男が、新時代の陸軍軍人へと転身するのは、ある意味明治のサクセスストーリーでもありました。
そんな福之進に、新たな出会いが訪れます。
明治9(1876)年、福之進は大関和と結婚。和は黒羽藩の旧士族で元筆頭家老・大関弾右衛門の次女でした。
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家柄でいえば釣り合いが取れていますが、年齢は20歳ほど離れていたといいます(このとき数え年で福之進が39歳。和は19歳)。
さらにまずいことに、すでに福之進には5人の妾がいました。しかも子供も5人いたと伝わります。
結婚の条件は妾との関係を清算することでした。しかし福之進は一度は受け入れたものの、妾との関係を終わらせません、
明治10(1877)年、和との間の第一子・六郎が誕生。すでに妾に子供が5人いたため、この名付けだったようです。
当然、和との夫婦関係は軋み始めていました。

