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【豊臣兄弟!】共闘から決裂へ…織田信長と戦い続けた足利義昭(尾上右近)、執念の生涯[前編]

【豊臣兄弟!】共闘から決裂へ…織田信長と戦い続けた足利義昭(尾上右近)、執念の生涯[前編]:2ページ目

義昭は、信長の支援なくして将軍にはなれなかった人物です。1568年(永禄11年)、信長の軍事力を背景に上洛を果たし、第15代将軍に就任します。そのようなことからしばらくは、両者の関係は極めて良好でした。

翌1569年(永禄12年)、織田軍の留守を突いて、阿波へ退いていた三好三人衆が約1万の兵で京都を窺います(本圀寺の変)。このとき義昭は、光秀ら幕臣とわずかな兵でこれを防ぎ、さらに細川藤孝(演:亀田佳明)らが援軍として駆けつけたことで、三好勢は撤退を余儀なくされました。

この一件は、信長にとっても予想外だった可能性があります。義昭は単なる「担がれた将軍」ではなく、一定の軍事的力量を持つ存在であることを示したからです。

この勝利により、義昭・信長連合は諸大名の支持を集め、その軍勢は8万に膨れ上がったとも伝えられます。

1570年(元亀元年)、信長は朝倉義景(演:鶴見辰吾)討伐のため越前へ出兵しますが、その最中に義弟である浅井長政(演:中島歩)がまさかの謀反。

信長は、羽柴秀吉(演:池松壮亮)秀長(演:仲野太賀に殿(しんがり)を命じ、京都へ帰還します。その撤退戦ののち、姉川の戦いで浅井・朝倉連合軍を破りますが、織田軍の損害も大きく、信長は岐阜へ退き義昭は京都に残りました。

やがて、このような動きを見ていた本願寺・延暦寺・浅井・朝倉・三好三人衆らが結束し、「信長包囲網」が形成されます。これに対し信長は、各勢力と個別に和睦を結ぶことで、巧みにこの危機を乗り切りました。

この過程において重要なのが、義昭の存在です。彼は将軍としての権威を用い、敵対勢力との仲介役を務め、和睦成立の土壌を整えました。つまりこの時期、義昭は「政治的権威」信長は「軍事力」を担い、互いの弱点を補完し合う関係にあったのです。

3ページ目 信玄の西上作戦でついに信長と決別!

 

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