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コスプレ参加、女性同士のバトル…豊臣秀吉が催した戦国最大級の「ド派手なお花見」が規格外すぎる!

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700本の桜を移植した『醍醐の花見』

秀吉が2度目に主催したのが『醍醐の花見』。慶長3年3月15日(1598年4月20日)に行われました。

場所は、京都の醍醐寺三宝院裏の山麓です。北野大茶湯(※)と双璧を成す、秀吉一世一代の催し物として知られています。

この花見では、畿内から700本もの桜を醍醐寺に移植しました。宴には正室の北政所、側室の淀殿三の丸、息子・秀頼、女房衆ほか約1,300人余りが参加したそうです。

このときは、ほとんどが女性ばかりで、男性の参加者は秀吉、息子の秀頼、前田利家の3人だったそうです。

花見の後、同年の夏に亡くなった秀吉。天下人の文化と絢爛を象徴する宴として今も語り継がれています。。

※北野大茶湯:天正15年10月1日(1587年11月1日)に京都北野天満宮境内において豊臣秀吉が催した大規模な茶会のこと。

花見の宴で淀殿と松の丸殿がばちばちのバトル

この『醍醐の花見』では、ばちばちの女同士のバトルが繰り広げられました。

宴の席で、正室である北政所の次に盃を受ける順番をめぐり、側室の淀殿松の丸殿が争ったのです。

淀殿は、豊臣家の後継である秀頼を産んだことで北政所に迫るほどの権勢を持っていました。そのため、北政所の次は「当然、私でしょ」と思っていたのです。

かたや松の丸殿は「自分は名門・京極家の出身。淀殿の父は浅井長政。その浅井家はかつて京極家に仕えていたんです。つまり、淀殿よりも、家柄が主家筋である自分の方が先でしょう」と主張します。

お互いに絶対に譲れない争い。これは一度始まってしまったら、引きたくないし負けたくないでしょう。このプライドをかけたバトルを収めたのは、前田利家の正室・まつだったのです。

「歳の順からいえばこの私でしょ!」と二人の間に割って入り、盃を受け取り収めたとか。どちらの顔も潰すことのない上手い仲裁ですね。

まつは北政所とはまだ若いときからの付き合い。淀殿も松の丸殿も文句は言えなかったでしょう。(後世にできた創作エピソードという説もあります)。この場面も、ドラマで観てみたいものです。

4ページ目 女性だけで桜に包まれ美しい思い出を残したかったのか

 

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