『豊臣兄弟!』男の一生を貫いた武将・前野長康の「辞世の句」秀吉に媚びず自害を選んだ覚悟の結末:2ページ目
武士としての筋を守り通した長康の生き方
戦国武将の忠義というと、命を賭して主君を諫める姿が理想像として語られることが多い。だが現実は、それほど単純ではない。
『豊臣兄弟!』でも、小一郎長秀(演:仲野太賀)が、織田信長に意見を述べる場面がたびたび描かれるが、多くは一喝されて終わる。
主君が勢力を増大し、やがて天下人へと上りつめたとき、家臣の言葉は次第に届きにくくなるものだ。
とりわけ、誰がどう見ても豊臣政権にとっては将来に災いを残す種となった朝鮮出兵を断行した豊臣秀吉に対し、表立って異を唱えた武将は、ほとんどいなかった。
前野長康を主人公にした遠藤周作の小説『男の一生』では、長康が四軍監の一人として渡海した朝鮮の地で目の当たりにした惨状を、秀吉に訴えようとしながらも、ついに言い出せない姿が描かれる。
これは史実とは断言できない。だが、誰も逆らえない巨大な権力を前にしたとき、最古参の家臣である長康でさえ沈黙せざるを得なかったという描写は、決して荒唐無稽ではない。しかし作中で長康は、その沈黙を自らの臆病さゆえと考え、苦悩する。
長康は、決して策を弄して主君を操る人物ではなかった。あくまで与えられた役目を果たし、戦場に立ち続けた実務家である。
だからこそ、秀吉が変質していく過程においても、表立って反旗を翻すことはなかったのだろう。だがそれは、盲目的な追従とは異なる。出世欲に溺れず、権力に取り入ることもなく、ただ武士としての筋を守ったのである。
文禄の役から帰陣後、長康は老齢を理由に隠居を願い出る。しかし秀吉はこれを許さず、自ら関白職を譲った甥の豊臣秀次の後見人および宿老を務めることを命じた。
そして文禄4年、「豊臣秀次事件の嵐」が吹き荒れる。秀次が高野山で自害すると、その粛清の波は長康にもおよび、嫡子・景定が処断の対象となって自害した。
理由は、長康がことさらに秀次をかばったという嫌疑であった。
長康は秀次の宿老である。だがそれ以上に、秀吉の股肱の臣であった。この嫌疑は、理不尽極まりないものといわざるをえないであろう。
だが彼は抗弁することなく、自らの意志で腹を切った。その最期は、秀吉に従ったというよりも、自身の生き方に従った結果ではなかったか。
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権力の頂点に立つ者を正面から否定することは容易ではない。だが迎合し続けることもまた難しい。その狭間で長康は、最後に命で区切りをつけた。そこにあったのは、後見を務めた秀次のような激しい抗議ではなく、秀吉に対する静かな決別であった。
長康の誠実さとは、時代に抗って叫ぶことではなく、時代に呑み込まれぬよう己の筋を守ることだったのではないだろうか。


