手洗いをしっかりしよう!Japaaan

『豊臣兄弟!』帰る場所でいてくれ!小一郎の抱擁に視聴者もらい泣き…第7回放送 直の真意など考察

『豊臣兄弟!』帰る場所でいてくれ!小一郎の抱擁に視聴者もらい泣き…第7回放送 直の真意など考察:2ページ目

実は既に存在していた墨俣の砦

秀吉が永禄9年(1566年)に築いたとされる墨俣城(岐阜県大垣市)。しかしこれは『甫庵太閤記』や『絵本太閤記』などを組み合わせて生まれた秀吉伝説の一つで、リアルタイムな太田牛一『信長公記』によると、信長は既に築かれていた砦(洲股要害)の修築を秀吉に命じたとしています。

それが時代と共に脚色され、奇想天外な一夜城伝説が生まれたのでした。物語としては痛快ながら、史実とは分けて楽しむのがよいでしょう。

劇中では寧々と母なか(坂井真紀)の嫁姑バトル?をキッカケとして、木曽川の上流で下ごしらえした材木を流し、下流で一気に組み上げる奇策をひらめいたのでした。

フィクションだった一夜城!秀吉が築く前から墨俣には城が存在していた『豊臣兄弟!』

時は戦国、永禄九1566年。織田信長(おだ のぶなが)は、美濃国(現:岐阜県南部)の大名・斎藤竜興(さいとう たつおき)を攻略する足がかりとして、墨俣(すのまた。現:岐阜県大垣市)の地に城砦を築こうと…

正勝が率いた川並衆とは?

劇中において「カネ次第でどんな仕事も引き受ける無法者集団」のように描かれていた川並衆とは、木曽川流域(川並)に割拠していた国人衆を指します。

ただし川並衆という言葉は『武功夜話』にしか存在せず、また当書の真偽についても論争があるため、当人たちがそう呼んで・呼ばれていたかは定かでありません。

また『太閤記』などで無法者のように脚色されてしまったことから、蜂須賀家の子孫たちは負のイメージに永く苦悩させられたと言います。

本作ではこの無法者イメージが踏襲されていますが、今後どのような活躍が描かれるのでしょうか。

【豊臣兄弟!】後に藤吉郎(秀吉)を支える義兄弟──前野長康と蜂須賀正勝、明暗別れたそれぞれの末路

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」、2月22日(日)に放送されたの第7回「決死の築城作戦」で、美濃攻略のため、墨俣に砦を築くよう命じられた小一郎(仲野太賀)と藤吉郎秀吉(池松壮亮)。尾張と美濃の国…

3ページ目 別れ話を切り出した直の真意

 

RELATED 関連する記事