戦後の混乱で約20人もの自称・天皇が出現…最も注目を集めた「熊沢天皇」とGHQ利用、孤独な末路:3ページ目
失墜と孤独
GHQの態度が変わると、熊沢の存在は急速に影を失います。
先述した通り、もともと彼が主張した系図は曖昧で、熊沢家に伝わるとされた南朝の御神宝も盗難に遭ったとされ、主張を裏付ける証拠は何一つ残っていませんでした。
さらに、熊沢は他者の売名に利用されたのに加え、彼自身も昭和天皇を天皇不適格として訴えるなど、迷走を重ねます。この行動によって、熊沢天皇は日本中で嘲笑の対象となりました。
晩年の熊沢は生活に困窮し、東京のマッサージ師夫婦の家に転がり込むなど、孤独な生活を送ります。
地元の愛知でも、また大阪でも暮らせなくなり、家族からも見放され、60歳以降は単身で東京に留まらざるを得ませんでした。
1966年に76歳で亡くなりましたが、その死は大きなニュースにはなりませんでした。
熊沢天皇の存在は、戦後の混乱、皇室権威の揺らぎ、南北朝時代の系譜の曖昧さが生んだ現象であると同時に、GHQの政治的利用も重なっていた可能性があります。
熊沢を詐欺師とする見方もありますが、彼自身は偽系図を信じ込んだ被害者でもあり、戦後社会の不安と混乱を象徴する人物だったといえます。
参考資料:
堀江宏樹『日本史 不適切にもほどがある話』三笠書房、2024年
画像:Wikipedia
