【豊臣兄弟!】桶狭間で織田信長(小栗旬)に討ち取られた今川義元(大鶴義丹)と家臣たち20人超を一挙紹介:2ページ目
久野元宗(くの もとむね)
遠江国久野城主(静岡県袋井市)。別名は久野宗忠(むねただ)または久能元宗(くのう~)とも。桶狭間では先鋒を務め、織田方の千秋季忠(せんしゅう すえただ。熱田神宮大宮司)を討ち取る武功を立てています。
斎藤利澄(としずみ)
通称は掃部介(かもんのすけ)。桶狭間では本隊に所属し、義元を守ろうと討死しました。
富永氏繁(うじしげ)
通称は伯耆守(ほうきのかみ)。桶狭間では庵原忠春への援軍として派遣されますが、奮闘むなしく討死します。
藤枝氏秋(うじあき)
通称は伊賀守(いがのかみ)。桶狭間では前備の侍大将を務めました。
松井宗信(むねのぶ)
通称は五郎八郎(ごろうはちろう)・左衛門佐(さゑもんのすけ)。また正式な官職として内匠助(たくみのすけ)や備後守(びんごのかみ)を授かっています。
今川義元の近習や遠江国二俣城主(静岡県浜松市)を歴任し、西方遠征指揮官に選ばれました。
桶狭間では手勢200を率いて本陣の前備を担当。織田勢の奇襲を受けた際は義元を守るために本陣へ馳せ戻り、奮戦して討ち取られます。
松平忠良(ただよし)
松平政忠の弟で、桶狭間では父の松平親広(ちかひろ)と共に出陣。義元を守るため敢闘するも、兄と共に討死しました。
松平政忠(まさただ)
長沢松平家第7代当主。桶狭間で討死したため、嫡男の松平康忠(やすただ)が家督を継ぎます。

