黒船見学は庶民の娯楽だった!?幕末の「黒船来航」にまつわるさまざまな俗説と勘違い:3ページ目
あの狂歌は間違い
ところで、当時の有名な狂歌として《泰平の眠りを覚ます上喜撰、たった四杯で夜も眠れず》というのがあります。
実はこの作品は、最近では教科書にほとんど掲載されなくなりました。内容が不正確だというのがその理由です。
ペリー艦隊は実際に4隻の軍艦を率いてきたのですが、このうち蒸気船はペリー自身が搭乗していたサスケハナ号とミシシッピ号の2隻だけ。残りのプリマス号とサラトガ号は帆船だったのです。
しかもミシシッピ号は故障で自走できず、サスケハナ号に曳航されていました(なんかカッコ悪いですね)。となると狂歌の「蒸気船4隻」という表現は不正確で、読んだ人からは蒸気船が4隻であったと誤解されかねません。
またここまで見てきた事実からも明らかなように、江戸の庶民も幕府も黒船来航によって「夜も眠れ」ないほどの恐怖と驚きをおぼえたわけではありません。
先に述べた通り、江戸時代は多くの人が外国船を見慣れており、密貿易や沿岸警備を通じて経験を積んでいたのです。
そういう意味でも、上記の狂歌は歴史に関する誤解を植え付けかねないものだと言えるでしょう(実際、植え付けられた人も多いでしょう)。
ペリー来航は確かに大きな事件でしたが、庶民にとっては想定内の出来事だったのです。
黒船を「日本が突然目覚めた瞬間」と見るより、外国との長い接触の積み重ねの中で迎えた本格的な転換点と捉える方が、歴史の実像に近くなるでしょう。
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参考資料:浮世博史『くつがえされた幕末維新史』2024年、さくら舎
画像:photoAC,Wikipedia


