黒船見学は庶民の娯楽だった!?幕末の「黒船来航」にまつわるさまざまな俗説と勘違い:2ページ目
混乱から娯楽化へ
例えば房総半島の人々は、ペリー来航前から蝦夷地警備に動員されていました。
江戸湾の警備では「お手伝い」として農民や漁民が参加し、武士だけでなく庶民が海防を支えていたといいます。
林子平の『海国兵談』や工藤平助の『赤蝦夷風説考』といった外国情報書も庶民の間で広く読まれており、危機意識も共有されていました。
よって、1853年のペリー来航は庶民にとっては驚きでも何でもなく、ほとんど予想された出来事でした。
庶民には、外国船を受け入れる気持ちの余裕と経験値があったのです。
浦賀に4隻の軍艦が現れた当初は混乱があり、避難する人もいましたが、しかし次第に黒船見物が娯楽化していきます。
江戸時代「黒船」は庶民の好奇心を刺激した!ペリー来航に人々はどう反応したのか
黒船来る!1853年(嘉永6年)に、アメリカの軍人マシュー・ペリーがいわゆる黒船に乗って日本へ来航しました。浦賀に来航したこの軍艦はフリゲート艦のサスケハナ号といい、船体に防水・防腐のため…
ペリーが事前通告のうえで大砲を発射すると、江戸の町人は驚きながらも湾岸に集まり、花火でも見るかのように楽しんだといいます。
黒船来航は恐怖の対象どころか、庶民の好奇心を刺激する一大イベントになったのです。

