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もしも英雄・伊達政宗が“10年早く”生まれていたら、本当に天下を獲れていたのか?を検証・考察

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実際に天下を狙えたタイミングは?

しかし天正18年(1590年)時点では、それしきの勢力を持っていたところで、秀吉に太刀打ちすることは到底できません。もちろん北条氏と連携しても同様です。

仮定に仮定を重ねる形になりますが、もし政宗が本気で天下を狙うのであれば、まずは秀吉に臣従して本領安堵≒勢力温存を図るのが得策でしょう。

そして高齢の秀吉が世を去ったタイミングで、家康につくか、あるいは家康を倒すかを判断します。ここが重要なタイミングと言えます。

もし家康を倒す決断をして、幸運にも倒せた場合、幼き豊臣秀頼の後見役におさまらなくては始まりません。そうなると毛利輝元や石田三成らとの政争を勝ち抜く必要があるでしょう。

また史実通り家康についた場合、家康が生きている限りは忠義を尽くして勢力を蓄えるのが無難です。そして家康が世を去った時点で、徳川忠長(国千代。三代家光の弟で家康の孫)あたりを担いで秀忠に引導を渡すのはどうでしょうか。

めでたく秀忠を倒せた暁には忠長の後見役におさまり……たいところですが、寄せ集めの豊臣政権と異なり、徳川政権は三河譜代の者が多くおります。

明らかに外様の政宗が後見役におさまれる≒政権中枢に食い込める可能性がどれほどあるか、その望みは極めて薄いでしょう。

そう考えると、やはり政宗が本気で天下を狙うなら、秀吉が世を去った時点で家康を討つのが最善のタイミングと言えます。

終わりに

今回は「もし伊達政宗が十年早く生まれていたら、天下を狙えたか?」というテーマで考察してきました。

可能性があるとしたら、秀吉や家康と言ったカリスマが世を去った混乱に乗じて幼君の後見役となり、権力をスライドさせていくシナリオが現実的でしょう。

果たして伊達政宗にそこまでして天下を狙う野心があったのかどうか……皆さんは、どのように考えますか?

※参考文献:

  • 小林清治『人物叢書 新装版 伊達政宗』吉川弘文館、1985年8月
  • 高橋富雄 編『伊達政宗のすべて』新人物往来社、1984年1月
 

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