手洗いをしっかりしよう!Japaaan

「べらぼう」歌麿の肩組みにネット歓喜!大崎が毒饅頭を食べた理由、グニャ富とは?史実を元に解説

「べらぼう」歌麿の肩組みにネット歓喜!大崎が毒饅頭を食べた理由、グニャ富とは?史実を元に解説:5ページ目

グニャ富こと中山富三郎(坂口涼太郎)とは何者?

写楽の絵によって、えげつないほどリアルに描かれたグニャ富こと中山富三郎(なかやま とみさぶろう)。劇中では坂口涼太郎のテンパり具合が絶妙でした。

富三郎は宝暦10年(1760年)に市川幾蔵(いくぞう)の子として生まれ、初代中山文七・四代目松本幸四郎に師事します。

親子で江戸にやって来たのは安永9年(1780年)、市村座で人気を博し、寛政初期には江戸と上方の両方で名声を勝ち取りました。

グニャ富というあだ名の由来は、顔がグニャついていたから……というひどいもの。しかし観客に与えるインパクトは絶大で、演技の実力が本物とあれば、かえって人気が高まったのも当然と言えるでしょう。

今回限りの登場で終わるのか、それとも後2回も妙演を魅せてくれるのか、楽しみですね!

大崎はなぜ毒饅頭を食べた?

松平定信陣営に捕らわれ、間者として一橋治済の元へ戻った大崎(映美くらら)。何とか治済を江戸市中まで引っ張り出すことには成功したものの、裏切りを見抜かれてしまいます。

「これを食そう。そーなーたーがーなー」

治済が大崎に手渡したのは毒饅頭。大崎も、それを食べれば命がないことは察していたはずです。それではなぜ、彼女は毒饅頭を食べたのでしょうか。

一、断ったところで、どうせ殺される。

一、他に行き場はないし、誰も守ってはくれない。

一、仮に逃げ延びられた場合、身内が被害を受けかねない。

毒饅頭を手に、大崎はこうしたことから覚悟を決めたのだと思われます。

これまで毒を用いて多くの者を殺めてきた大崎にとって、因果応報と言うべき末路でした。

第47回放送「饅頭(まんじゅう)こわい」

治済(生田斗真)の毒まんじゅうで定信(井上祐貴)たちは窮地に陥る。だが蔦重(横浜流星)の驚きの策により、将軍家斉(城桧吏)を巻き込んだ仇討ち計画が再び動き出す…

※NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。

写楽騒ぎによって、政争のターゲットにされてしまた蔦重たち。いくら「お武家様の事は関係ない」と言ったところで、降りかかる火の粉は払わねばなりません。

ラストで登場したのは治済?それとも影武者(そっくりさん)?あるいは赤の他人、ということはないでしょうが……。

果たして蔦重が繰り出す驚きの策とは一体何なのか、来週も「そうきたか!」に期待です。

 

RELATED 関連する記事