【べらぼう】写楽は歌麿と蔦重の子供!?“業と情”そして因果の絡み合った写楽の絵とは?:2ページ目
写楽は歌麿と蔦重の子供?
かくして再び蔦重の元へ舞い戻った歌麿。ここに写楽プロジェクトが本格始動します。
本作における写楽の正体は歌麿か、それとも絵師たちの集合体なのか……もし前者であれば、写楽の絵は「歌麿の業と蔦重の情が絡み合った因果の果てに生み出された合いの子」と言えるでしょう。
男性同士だから物理的には子供が生まれない代わりに、写楽の名と絵が二人の子供となったのかも知れませんね。
一方で写楽が後者であれば、昔から唱えられてきた写楽=複数絵師説を具現化した形になります。誰がどの絵を担当するのか、想像するのも楽しいでしょう。
※現代では写楽=斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべゑ。阿波徳島藩のお抱え能役者)説がほぼ定説となっているようです。
ともあれ第46回放送「曽我祭の変」では、東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)として歌麿たちの役者絵が華々しくデビューを飾るのでした。
大版役者絵が28枚同時に出版され、いずれも黒雲母摺(くろきらずり)という豪華仕様、世に与えたインパクトは絶大だったはずです。
実際のところは「歌麿に去られた蔦重が、再起を賭けて力を入れた」ようですが、本作では巨悪をあぶり出すために「あの源内が生きていた(ら、こんな画号でこんな役者絵を出すに違いない)!」ムードを高める演出装置となりました。
史実では寛政6年(1794年)5月から寛政7年(1795年)1月にかけて約10ヶ月(閏11月含む)しか活動しなかった写楽は、なるほどプロジェクトの終了によって姿を消したものとして描かれるのでしょう。
終わりに
今回は歌麿に復帰を説得したおていさんの欲望、そして復帰した歌麿と蔦重の絡み合う因果について紹介してきました。
果たして蔦重&歌麿コンビそして仲間たちが世に送り出す写楽プロジェクトは、どれほどの反響を生み出すのでしょうか。
そして平賀源内の生存説が気になる巨悪・一橋治済(生田斗真)が又してもお忍びで蔦屋へ繰り出すようですが……。
大河べらぼうもラスト3回。第46回放送「曽我祭の変」も目が離せませんね!


