朝ドラ「ばけばけ」実際に小泉八雲と親交、恋愛関係は?江藤リヨ(北香那)のモデル・籠手田よし子の生涯:2ページ目
小泉八雲との出会いと親交
松江では、よし子に運命的な出会いが待っていました。
明治23(1890)年8月、英語教師としてラフカディオ・ハーン(のちの小泉八雲)が松江尋常中学校に赴任。翌9月27日には、ハーンは通訳で同僚でもある西田千太郎とともに籠手田知事邸を訪ねます。
このときは、よし子が婦人会会長を辞任する慰労の会が開かれていました。
よし子は縁戚でハーンと対面。西田の日記によると、よし子は琴を演奏してハーンは感銘を受けたといいます。
ハーンは舞妓たちの踊りも鑑賞。辞任の会とは言え、進行は和やかに進んだと思われます。
当時、満年齢でいえばハーンは40歳、よし子は18歳でした。年齢差もさることながら、立場も国籍も大きく異なります。ただ、その距離感の中で、互いに相手の文化や人柄に敬意を払っていたことが、残された記録からうかがえます。
その後もよし子はハーンとの交流を続けました。
松江の冬は、ギリシャ生まれで温暖な気候に慣れた八雲にとって過酷です。明治24(1891)年の冬、彼は「気管支カタル」と診断されて長く寝込みます。
そのとき八雲のもとに届いたのが、よし子からの見舞状と、一羽の鶯を入れた鳥かごでした。
ハーン自身も西田千太郎宛の手紙の中で、この出来事に触れています。
手紙では「珍しい形の箱に入れられた鶯が届けられたこと」と「贈り主への感謝の言葉をどう表せばよいかわからないほど感動したこと」を記述。心の交流があったことを思わせます。
ただし、恋愛感情があったかどうかについては、一次史料にはまったく証拠がないので想像に委ねるしかありません。
