古代の天皇陵、実はほとんどが別人の墓!それでも宮内庁が頑なに学術調査を拒む理由【後編】

高野晃彰

初代神武天皇から飛鳥時代最後の文武天皇まで、42人の天皇の約9割が別人の墓に葬られている可能性が高く、本来の墓(真陵)が特定されている天皇は、わずか5名・4基に過ぎない。

なぜ、このようなことが起きてしまったのか。そして、なぜ陵墓を管理する宮内庁は、その問題に正面から向き合おうとしないのか。本稿では、この謎を2回に分けて考察していく。

※【前半】の記事↓

古代の天皇陵、実はほとんどが別人の墓!それでも宮内庁が陵墓と言い続けるのはなぜ?【前編】

日本の天皇は、初代・神武天皇から今上天皇まで126代を数える。そのうち、古墳とされる陵墓に葬られた天皇は、神武天皇から9代開化天皇のいわゆる欠史8代(神話上の天皇で実在性が極めて乏しい)の天皇を含め、…

[後編]では、宮内庁が頑なに陵墓・陵墓参考地への学術調査を拒む理由について述べていきたい。

学術的に天皇の真陵と確実視できる古墳

[前編]で述べてきたように、陵墓および陵墓参考地への立ち入りや学術調査は、宮内庁によって厳しく制限されている。しかし、宮内庁が公式に治定する古墳とは別に、天皇の真陵である可能性が高いと確実視されている古墳が存在することもまた事実である。

そのような古墳は、古墳時代の天皇では、26代継体の今城塚古墳(大阪府高槻市)、29代欽明の見瀬丸山古墳(奈良県橿原市)、32代崇峻の赤坂天王山古墳(奈良県桜井市)。そして、飛鳥時代の天皇では、37代斉明(35代皇極が重祚)の牽牛子塚古墳(奈良県明日香村)、42代文武の中尾山古墳(奈良県明日香村)が挙げられる。

まるで白亜のピラミッドのように復元!斉明天皇の真陵・牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)ってどんな古墳?【前編】

大化の改新前後の日本古代史上に君臨した女帝・斉明天皇。その真陵と目されるのが奈良県明日香村にある牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)です。明日香村教育委員会の手で「牽牛子塚古墳等整備事業」として…

この5つの古墳は、考古学的および文献学的見地から、それぞれの天皇の真陵として確実な古墳とされる。しかし、宮内庁はこのような学術的見地を無視し、江戸時代に比定された古墳を頑なに治定し続けているのだ。

2ページ目 江戸時代に新造した古墳も天皇陵に治定

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