古代の天皇陵、実はほとんどが別人の墓!それでも宮内庁が頑なに学術調査を拒む理由【後編】:3ページ目
宮内庁が陵墓の学術調査を拒否する理由
古墳には、古代史の謎を解き明かす鍵が秘められている。発掘などの学術調査を行い、その実態を解明することで、新たな発見がもたらされる可能性が大きい。
しかし、そこに宮内庁という壁が立ちはだかる。日本最大の前方後円墳は全長486mの大山古墳(大仙古墳・仁徳天皇陵古墳)だ。この大山古墳を頂点として30位までの大きさの前方後円墳の内、23基が宮内庁の管理する陵墓・陵墓参考地であり、調査が行えない古墳となっているのである。
古墳は規模の大小を問わず、歴史的遺産として大きな価値をもつ。しかし、とりわけ大規模な古墳は、天皇や皇族といった高貴な身分の人物が埋葬されている可能性が高く、その調査によって歴史認識が大きく転換する可能性さえある。そうした観点からすれば、多くの陵墓および陵墓参考地は、未だ解明されていない歴史の核心に触れる手がかりを秘めているといっても過言ではない。
それなのになぜ宮内庁は、陵墓・陵墓参考地の学術調査を頑なに拒むのか。そこには、陵墓は皇室の祖先の墓として、現在も祭祀が行われている神聖な場所だという考え方があるようだ。
つまり、天皇であってもひとりの人間であることに変わりはなく、学術調査という名目であっても、他人の墓を暴くことは許されないという立場をとるのである。また、現在の陵墓治定についても大きな誤りはないとする見解に立ち、その根拠として、江戸期から明治期にかけて当時の最高水準の学者たちが調査にあたった結果であることを挙げている。
さらに、今城塚古墳や牽牛子塚古墳のように、現代の考古学的見地から天皇の真陵である可能性がほぼ確実とされる古墳に対しても、墓誌などの直接的な証拠が出ない限り断定はできず、治定の変更などは考えられないと主張する。
そのため、今後においても陵墓・陵墓参考地に対する積極的な学術調査が許可される可能性はほとんどないと結論づけている。
しかし現実には、宮内庁が治定する陵墓の多くで、被葬者である天皇と古墳の築造年代が著しくずれているという事実は否定できない。それでも、まったく別人の古墳を陵墓として祀り続けることは、むしろ天皇に対して失礼極まりないのではないだろうか。
※参考文献:矢澤高太郎著『天皇陵の謎』文春新書

