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古代の天皇陵、実はほとんどが別人の墓!それでも宮内庁が陵墓と言い続けるのはなぜ?【前編】

古代の天皇陵、実はほとんどが別人の墓!それでも宮内庁が陵墓と言い続けるのはなぜ?【前編】

日本の天皇は、初代・神武天皇から今上天皇まで126代を数える。そのうち、古墳とされる陵墓に葬られた天皇は、神武天皇から9代開化天皇のいわゆる欠史8代(神話上の天皇で実在性が極めて乏しい)の天皇を含め、飛鳥時代最後の文武天皇まで42人いる。

しかし、その約9割が「実際には別人の墓」に葬られた可能性が高く、本来の墓(真陵)が特定されている天皇は、わずか5名・4基に過ぎないという衝撃的な事実がある。

なぜ、このようなことが起きてしまったのか。そして、なぜ陵墓を定め、管理する宮内庁は、その問題に正面から向き合おうとしないのか。本稿では、この謎を2回に分けて考察していく。

[前編]では、古墳が造られた古墳時代から飛鳥時代までの天皇である33人(欠史8代の天皇を除く)について、その陵墓の信憑性を探っていこう。

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約400年間にわたり続いた古墳時代

本論に入る前に日本史上における古墳時代とは、いつ頃を指すのかその定義についてお話ししたい。古墳時代とは、大王家(天皇家)や有力豪族をはじめとする人々が大小様々な墳墓を造営した時代の総称で、おおよそ3世紀後半(西暦250~300年)から7世紀末(西暦700年)までを指す。したがって奈良時代に入ると、古墳という名は使われず墳墓となるわけだ。

この約400年間に、北海道・東北北部・南西諸島を除く日本列島各地に、前方後円墳・円墳・方墳・八角形墳など、さまざまな形の古墳が数多く造営され、その数は16万基を超えるとされている。

このような古墳の中で、ヤマト国家の大王、すなわち後の天皇と称される人たちの墳墓とその一族(皇族)の墓大王墓・陵墓と称する。その数は、天皇陵と名付けられた古墳を中心に900基近く存在し、そのほぼすべてが陵墓・陵墓参考地として宮内庁の管理下に置かれている。

現在、陵墓・陵墓参考地は、一切の立ち入りが禁止され、学術的な発掘調査も厳しく制限されている。日本では、戦後の皇国史観からの脱却もあり考古学が著しく発展したが、陵墓・陵墓参考地の治定は、そうした考古学的知見を十分に反映することなく行われているのが実状である。

では、宮内庁は何を根拠として治定しているのかというと、その多くは幕末期・明治初期に認定されたものを、そのまま継承しているに過ぎない。このため、学者や研究者の間で解釈に差異があるものの、本物の被葬者が確実とされる陵墓は、わずか5基ほどにしかならず、約9割は全く別人の古墳である可能性が高いとされる。

ここからは、10代崇神天皇から32代崇峻天皇までを古墳時代、33代推古天皇から42代文武天皇までを飛鳥時代と区分し、各陵墓の信憑性について考察していきたい。

2ページ目 誰一人本物の墳墓でない!信憑性ゼロ%の古墳時代

 

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