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古代の天皇陵、実はほとんどが別人の墓!それでも宮内庁が陵墓と言い続けるのはなぜ?【前編】

古代の天皇陵、実はほとんどが別人の墓!それでも宮内庁が陵墓と言い続けるのはなぜ?【前編】:3ページ目

飛鳥時代、信憑性のある天皇陵は5人・4基

飛鳥時代の天皇は、33代推古・34代舒明・35代皇極・36代孝徳・37代斉明(皇極が重祚)・38代天智・39代弘文・40代天武・41代持統・42代文武の9人が存在する。

この内、宮内庁が治定した陵墓が真陵として確実なのは、38代天智、40代天武、41代持統(天武と合葬)の3名だ。いずれも古墳時代終末期において天皇墓に採用された八角形墳である。

ただ、このほかにも現陵墓で確実性が高いと考えられている天皇に、33代推古、34代舒明の2名がいる。したがって、この2人を含めて5人・4基ということになる。

では[前編]は、ここまで。[後編]では、宮内庁が陵墓・陵墓参考地への学術調査を頑なに拒む理由などについてお話ししよう。

【後編】の記事↓

古代の天皇陵、実はほとんどが別人の墓!それでも宮内庁が頑なに学術調査を拒む理由【後編】

初代神武天皇から飛鳥時代最後の文武天皇まで、42人の天皇の約9割が別人の墓に葬られている可能性が高く、本来の墓(真陵)が特定されている天皇は、わずか5名・4基に過ぎない。なぜ、このようなことが…

※参考文献:矢澤高太郎著『天皇陵の謎』文春新書

 

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