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【べらぼう】蔦重と出会い武士から町人へ…史実から曲亭馬琴(津田健次郎)の波乱万丈な前半生を追う

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結婚そして更なる飛躍へ

自ら武士の身分を解除して、新たな人生を歩み始めた瑣吉に縁談が舞い込んだのは、27歳となった寛政5年(1793年)。

蔦重や京伝の勧めで履物屋「伊勢屋」を営んでいた未亡人・会田百(あいだ もも/ひゃく)と結婚しました。

生活のためもあって婿入りしたものの会田姓は名乗らず、滝沢清右衛門(せいゑもん)と名乗っています。

彼女との間には合計一男三女を授かるも家業には熱が入らず、寛政7年(1795年)に義母が亡くなると、待ってましたとばかり履物屋を廃業。噺本や黄表紙の執筆を本格始動したのでした。

そして30歳を迎えた寛政8年(1796年)、蔦屋から出世作となる『高尾船字文(たかおせんじもん)』を出版します。

寛政9年(1797年)に蔦重が世を去るため、大河ドラマではそこから先は見られませんが、瑣吉の人生はここから開花していくのでした。

終わりに

江戸の大ベストセラー『南総里見八犬伝』を書いた、異才の戯作者

滝沢瑣吉(たきざわ・さきち)〈のちの曲亭馬琴(きょくていばきん)〉

北尾政演/山東京伝(古川雄大)の紹介で、しばらくの間、蔦重(横浜流星)の耕書堂に手代として世話になることに。そこで働く傍ら、戯作者として黄表紙の執筆を始める。蔦重は新たな才能を競わせようと、勝川春朗(くっきー!)とのコンビを組ませるが…。

史実では、二十八年もの歳月を費やして伝奇小説『南総里見八犬伝』を完成させ、その愛読者は近代にまで及ぶ。

※NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」公式サイトより。

今回は滝沢瑣吉について、その前半生を紹介してきました。

物語は終盤に向かい、血気盛んな次世代の傑物たちが次々登場してきますね。

果たして勝川春朗(後の葛飾北斎。くっきー!)とどんなコンビを演じるのか……今後も活躍に期待しましょう!

※参考文献:

  • 麻生磯次『人物叢書 滝沢馬琴』吉川弘文館、1987年10月
  • 杉浦日向子 監修『お江戸でござる 現代に活かしたい江戸の知恵』ワニブックス、2003年9月
  • 高牧實『馬琴一家の江戸暮らし』中公新書、2003年5月
 

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