朝ドラ「ばけばけ」実際も追い詰められ出奔…山根銀次郎(寛一郎)のモデル・前田為ニの失踪とその後
朝ドラ「ばけばけ」には、ヒロインの周囲に魅力的な人物が数多く登場します。
ヒロイン・トキの最初の夫となる山根銀次郎もその一人。彼のモデルとなったのが、小泉セツの元夫・前田為ニです。
為ニは江戸時代末期頃に鳥取藩士の子として生まれます。
明治になって稲垣家に婿入りしてセツと結婚。仲睦まじく過ごすものの、二人には試練が訪れました。
前田為ニとはどのような人物だったのか。その背景とセツとの関わりについて触れていきます。
前田為ニの生涯について見ていきましょう。
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鳥取藩士の子として生まれた為ニ
安政5(1858)年ごろ、前田為ニは因幡国で鳥取藩士である前田家の次男として生を受けたと考えられます。
為ニが生まれた時代は、政治的に混迷を深めた時代でした。
黒船来航によって幕府の権威が失墜。水戸や長州などを中心に尊皇攘夷派が台頭していました。
鳥取藩では、水戸藩主であった徳川斉昭の五男・池田慶徳が藩主に就任。文久3(1863)年6月には、長州藩についでイギリス船に砲撃を仕掛けて攘夷を実行に移しました。
加えて慶徳は、15代将軍・徳川慶喜の兄という立場でもあります。
身分社会?騎士・徒士・卒の武士の3区分
前田為ニが生まれたのは、鳥取藩の足軽の家でした。
足軽は武士の中でも最も軽輩であり、身分が低い立場とされています。ではどのような位置にいたの考えていきましょう。
全国には、藩の中で武士の身分は大きく3つに分けられていました。
頂点となるのが騎士(きし)。その名の通り、馬に乗ることが許可されています。藩でいえば藩士たちを指導する上役の立場です。
その下が徒士(かち)。騎士と違って徒歩で勤める下層武士の階級です。場内警固や先駆けを行う立場でした。
そして最下層が足軽です。戦場で言えば歩兵の立場であり、上記の士分(騎士・徒士)とは異なります。
一般的に武士と呼ばれるのは、狭義では士分まででした。足軽は武士身分ではあるものの、区別されて認識されていたのです。
為ニの前田家も、鳥取藩では軽輩として扱われていました。この身分制度が、のちのち為ニに影を落とすこととなるのです。



