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朝ドラ「ばけばけ」実際も追い詰められ出奔…山根銀次郎(寛一郎)のモデル・前田為ニの失踪とその後

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稲垣家出奔!為ニの大阪での再出発

このとき、稲垣家では雪の養祖父・稲垣万右衛門と養父・稲垣金十郎が働かず、むしろ為ニとの間で軋轢を生んでいます。

稲垣家に同化させるため厳しい「しつけ」が実施。為ニが足軽出身であることから「軽輩」と言われ、次第に為ニは追い詰められていきました。

居場所を失った為ニは稲垣家を出奔。松江を後にして大阪へと向かったと言われています。

セツは為二の所在が大阪にあると知るや、旅費を工面して単身出向き、復縁を懇願しました。

しかし為ニは拒否し、思い詰めたセツは身投げをしようかと考えた程でした。結局は、為ニはそのまま稲垣家に帰ることはないまま、明治23(1890)年に離縁となります。

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その後、セツは実家である小泉家に復籍。翌明治24(1891)年に婿として小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を迎えることとなるのです。

その後の為二の離縁後の足取りは定かではありません。一説によると、大阪で商売で成功したとも伝わります。

セツがのちに小泉八雲へ語り、名作『知られぬ日本の面影』に収められることになる怪談「鳥取の蒲団(布団)」も、もとは鳥取出身の為二からセツに伝わった話でした。

為ニとセツ夫婦の語らいが、のちの日本近代文学へと連なる“素材”を育んだことは注目すべき点でしょう。

 

 

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