朝ドラ「ばけばけ」実際も追い詰められ出奔…山根銀次郎(寛一郎)のモデル・前田為ニの失踪とその後:3ページ目
稲垣家出奔!為ニの大阪での再出発
このとき、稲垣家では雪の養祖父・稲垣万右衛門と養父・稲垣金十郎が働かず、むしろ為ニとの間で軋轢を生んでいます。
稲垣家に同化させるため厳しい「しつけ」が実施。為ニが足軽出身であることから「軽輩」と言われ、次第に為ニは追い詰められていきました。
居場所を失った為ニは稲垣家を出奔。松江を後にして大阪へと向かったと言われています。
セツは為二の所在が大阪にあると知るや、旅費を工面して単身出向き、復縁を懇願しました。
しかし為ニは拒否し、思い詰めたセツは身投げをしようかと考えた程でした。結局は、為ニはそのまま稲垣家に帰ることはないまま、明治23(1890)年に離縁となります。
朝ドラ「ばけばけ」儚かった結婚生活…トキ(高石あかり)のモデル・小泉セツの実際の出生と結婚の結末
9月29日(月)から朝ドラ「ばけばけ」が始まりましたが、ヒロイン・トキのモデルは、のちに小泉八雲の妻となる小泉セツです。[caption id="attachment_258814" alig…
その後、セツは実家である小泉家に復籍。翌明治24(1891)年に婿として小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を迎えることとなるのです。
その後の為二の離縁後の足取りは定かではありません。一説によると、大阪で商売で成功したとも伝わります。
セツがのちに小泉八雲へ語り、名作『知られぬ日本の面影』に収められることになる怪談「鳥取の蒲団(布団)」も、もとは鳥取出身の為二からセツに伝わった話でした。
為ニとセツ夫婦の語らいが、のちの日本近代文学へと連なる“素材”を育んだことは注目すべき点でしょう。

