朝ドラ「ばけばけ」実際も追い詰められ出奔…山根銀次郎(寛一郎)のモデル・前田為ニの失踪とその後:2ページ目
明治は四民平等?士族と卒族の違い
明治元(1868)年、明治維新によって江戸時代が終わりを告げました。
明治の世では、身分は新たな制度へと移行していきます。
華族(公家や旧大名)・士族(旧武士、いわゆる旧士分)・卒族(旧足軽)・平民(町民や農民)の成立です。
ここでも旧足軽が旧士分と区別されていたことがわかります。
しかし明治5(1872)年、卒族は士族(一代限りの足軽は平民)に編入。為ニも士族の身分となりました。
四民平等という言葉がありますが、実際はそれほど人々が簡単に前時代の身分を受け入れたわけではありません。
やがて為ニは身をもって知ることとなるのです。
幸せな結婚生活?しかし婿入り先は…
明治になると、収入を失った士族たちは困窮を極めていきます。
前田家もその流れにあり、為ニの婿入り先として決まったのが出雲国松江の稲垣家のセツでした。
セツは稲垣家の養女であり、血筋は松江藩番頭の小泉家、母方は家老や中老を務めた塩見家につながります。
明治19(1886)年、為ニは28歳(推定)で稲垣家に婿入り。当時18歳のセツと夫婦となりました。
二人の夫婦仲はよく、関係は良好だったと言われています。
為ニは働き者である一方、浄瑠璃や近松作品に精通。怪談などの物語を愛好したセツと語り合ったと言われています。
しかし暗雲は突然立ち込めてきました。
明治20(1887)年、セツの勤務する小泉家の織物工場が倒産。セツの父・小泉湊も病で世を去りました。
稲垣家の暮らしはいよいよ厳しくなり、婿である為ニに対して期待と圧迫が向かうこととなるのです。

