吉原遊廓の内部を徹底解剖!花魁の部屋から”折檻部屋”まで驚きの実態:2ページ目
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2階
いよいよ2階は大賑わいのメインスペースです。
遣手部屋
段梯子を上がると、遣手部屋(やりてべや)というものがありました。女郎屋には必ず1人、遣手という監視役の中年女性がおり、客や女郎の行動に常に目を光らせていました。
遣手には元女郎が多く、いちいち口うるさいのでたいてい女郎たちから嫌われて「遣手婆」などと呼ばれていました。
この奥にはいよいよ吉原らしい場所が現れます。表座敷と呼ばれた芸者や幇間を伴っていわゆるどんちゃん騒ぎをする大部屋、引付座敷という、初会の客が女郎と顔合わせする座敷などが並んでいました。
女郎の部屋
下級女郎は1階の奥の部屋に雑魚寝でしたが、部屋持ち、座敷持ち、呼び出しなどの上級女郎は2階に自分の部屋を持っていました。
部屋持ちは1部屋もらって自分の居住にも使いましたし、また客を招く座敷としても使いました。座敷持ち以上の高級女郎になると、自分の生活する部屋と客を通す座敷の2つを与えられました。
廻し部屋
個室が空いていない時には、廻し部屋に客を通しました。「五人廻し」という落語があるように、女郎1人に対し、客を何人もかけもちしたりしました。込み合っていると、1つの部屋についたてをたてて相部屋なんてことも行われていました。
客用便所
江戸時代、2階に便所があるのは吉原遊廓だけでした。水洗でもなく、下水道システムもなかった当時、2階に便所があるというのはまか不思議な事だったのです。「俺ア昨日2階の便所に行ったぞ」と言えば吉原に行ったという事になり、ちょっとした自慢にもなりました。
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