『べらぼう』胸が震えた名シーン…決意を固めた“同じ成り上がり”の田沼意次と蔦重の覚悟を考察【前編】
「好きにするがいい。自らに由(よし)として、『我が心』のママにじゃ」
「ありがた山の寒がらすにございます!」
「こちらこそかたじけ茄子(なすび)だ!」
第34回大河べらぼう『ありがた山とかたじけ茄子』。
田沼意次(渡辺謙)が蔦重(横浜流星)の手を取り交わした、最後の言葉は「地口」でした。地口は、言葉遊びの一種で駄洒落のようなもの。このやりとりは一見テンポのいい軽い会話のように聞こえますが、実はお互いの“覚悟”が込められた最後のやりとりでした。
「胸が震えた」と感動して涙する視聴者も多かったようです。
※前回放送の振り返り記事↓
【べらぼう】なぜふんどし野郎?なぜていは眼鏡を外した?響く「屁!」コールほか… 第34回の振り返り
「自らの思いによってのみ『我が心のママ』に生きる。わがままに生きることを自由に生きるっつうのよ。わがままを通してんだから、きついのはしかたねえや」
このドラマの根底に流れる、平賀源内(安田顕)の思いが、意次と蔦重を動かしました。源内を通して、身分も年齢も違うのに、不思議な友情と信頼関係が育まれていた田沼意次と蔦屋重三郎。
今回はこの二人の思いと、蔦重が己の信念である「書をもって耕す」から「書を持って抗う」を決意した思いを考察してみました。
老中が、意次から松平定信(井上祐貴)に変わり世の中が“松平推し”へと急速に変化しますが、蔦重は易きに流されません。
源内にもらった店の名前、“書を持って世を耕す”「耕書堂」から、“書を持って世に抗う”「抗書堂」になる覚悟を決めます。「こうしょどう」の運命はいかに。
初めてと最後は同じ「ありがた山の寒がらす」
今回のタイトル、『ありがた山とかたじけ茄子』。「べらぼう」の第一話のタイトルが『ありがた山の寒がらす』だったのを覚えていますか。当時、無許可営業の「岡場所」や「宿場」に客を奪われ、危機に陥った吉原の状態を見かねた蔦重は、平賀源内の勧めで老中・田沼意次に「けいどう」(非公認の私娼窟などの取り締まり)を申し出ました。
蔦重の訴えに意次は、「吉原のためだけに、けいどうは行えない」と突っぱね、吉原の人気が落ちた理由は他にもあるのではないか?「お前は客を呼ぶ工夫をしているのか」と言います。蔦重の目から鱗が落ちた瞬間でした。
「田沼さま、お言葉、目が覚めるような思いがいたしました。まこと、ありがた山の寒がらすにございます」。
そして、「吉原に人を呼ぶ」ために、ガイドブック「吉原細見」の改訂を思いついたのです。お江戸の若い起業家・蔦重の始まりでした。
その後、源内の獄死事件、意知の惨殺事件、「田沼おろし」の陰謀を企む者の発覚など、様々な出来事や葛藤を乗り越えてきた二人の間には、確固たる絆が生まれていたのです。


