女性排除…それでも消えなかった歌舞伎――戦国の巫女・出雲阿国が起こした「かぶき」の衝撃【後編】
「歌舞伎」という言葉から、多くの人は派手な衣装や隈取りを思い浮かべることでしょう。けれども、その始まりは意外にも、一人の女性が踊った奇抜な舞からでした。
その女性こそ「出雲阿国(いずものおくに)」と呼ばれた人物です。
【前編】の記事↓
男装も艶やかもこなすスーパーアイドル――戦国の巫女・出雲阿国が起こした「かぶき」の衝撃【前編】
「歌舞伎」という言葉から、多くの人は派手な衣装や隈取りを思い浮かべることでしょう。けれども、その始まりは意外にも、一人の女性が踊った奇抜な舞からでした。その女性こそ「出雲阿国(いずものおくに)」と…
【後編】では、禁止と弾圧を経て、それがいかに「歌舞伎」という伝統芸能へと変化していったのかを見ていきましょう。
阿国の舞を真似て、多くの女性や遊女が舞台に立つようになりました。なかでも「遊女歌舞伎」は特に人気を博しましたが、派手さや艶やかさが過ぎ、風紀を乱すと非難されるようになります。歌舞伎が風紀を乱すと非難されるようになっていった詳しい経緯についてはこちらの記事でも紹介しています。
歌舞伎で風紀が乱れる?江戸時代に歌舞伎や相撲が”危険視”されていた理由【前編】
歌舞伎で風紀が乱れる!?今や日本を代表する伝統芸能である歌舞伎と相撲は、非常に格式が高く、様式美に彩られた高尚なエンタメとして捉えられています。しかし、そんな現代のイメージとは正反対に、こ…
天下を掌握した徳川幕府は秩序を重んじました。庶民の熱狂を危ういものと見なし、1629年、女性による歌舞伎を全面的に禁じてしまいます。阿国が切り開いた舞台は、こうして一度閉ざされたのです。
抑圧から生まれた新しい芸能
けれども、文化というものは権力によって押しつぶされそうになっても、そう簡単には消えてしまいません。人々の心に根づいた表現の芽は、姿を変えてでも生き延びていくのです。
女性の舞台が禁じられると、まずは若者や少年たちが代わりに立ちました。彼らは女性を真似て舞い、その姿に人々は新たな魅力を見出しました。しかし、やがてそれさえも幕府に禁じられます。
それでも舞台の火は消えませんでした。最後に立ち上がったのは大人の男性たちです。彼らは女性の仕草や声を徹底的に研究し、優雅さや艶やかさを自らの身体に刻み込んでいきました。
ここから「女形(おんながた)」と呼ばれる役柄が確立されます。女性を演じること自体が一つの芸として昇華され、やがて歌舞伎の中核を担う存在となっていったのです。
2ページ目 一人の挑戦が時代を変える
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