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歌舞伎で風紀が乱れる?江戸時代に歌舞伎や相撲が”危険視”されていた理由【前編】

歌舞伎で風紀が乱れる?江戸時代に歌舞伎や相撲が”危険視”されていた理由【前編】

歌舞伎で風紀が乱れる!?

今や日本を代表する伝統芸能である歌舞伎相撲は、非常に格式が高く、様式美に彩られた高尚なエンタメとして捉えられています。

しかし、そんな現代のイメージとは正反対に、これらの伝統芸能は江戸時代までは割と荒っぽく、アウトローな世界の位置づけだったようです。

今回はこれらの伝統芸能の歴史と、やくざな世界との繋がりについて、前編・後編に分けて歴史をたどっていきましょう。

歌舞伎は出雲阿国が創始した「かぶき踊」が原点とされており、遊女屋で取り入れられた「遊女歌舞伎」や、十代の少年役者が演じた「若衆歌舞伎」などが人気を博しました。

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起源は出雲阿国日本の伝統芸能と聞いて、歌舞伎を思い浮かべる人は多いと思います。芝居と踊り、そして音楽が融合した舞台作品である歌舞伎の歴史は400年前に遡ります。その起源は1603年、女性芸…

しかし、こうした数々の歌舞伎は、風俗の乱れを懸念した幕府によって禁止されました。

その後は成年男性だけが演じられる野郎歌舞伎が残り、女性の役も男性が演じるようになります。また、初代市川團十郎が「荒事」といわれる演技様式を生み出し、こうした工夫を経て江戸の娯楽として定着していきました。

同時に、歌舞伎役者は江戸のファッションリーダーとなり、さまざまなトレンドを発信するようになります。しかし、それゆえに幕府からは警戒され、規制の対象になることも少なくありませんでした。

天保の改革では七代目市川團十郎が奢侈を理由に江戸から追放され、芝居小屋も浅草の猿若町に移転させられています。

しかし改革の挫折によって息を吹き返し、幕末から明治にかけては、博徒や義賊を主人公にした演目が人気を得るようになりました。

2ページ目 「相撲」は始末に負えないもの?

 

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