手洗いをしっかりしよう!Japaaan

歌舞伎で風紀が乱れる?江戸時代に歌舞伎や相撲が”危険視”されていた理由【前編】

歌舞伎で風紀が乱れる?江戸時代に歌舞伎や相撲が”危険視”されていた理由【前編】:2ページ目

「始末に負えないもの」

江戸時代、歌舞伎興行を催す際には許可が必要でした。幕府から許可を与えられた者を座元といい、スポンサーである金主から資金を集め、役者や狂言作者と契約して興行を行っていました。

江戸中期以降、座元として興行を許されたのは中村座の中村勘三郎、市村座の市村羽左衛門、森田座の森田勘彌で、その権利は代々世襲されていきます。

ところで相撲の興行は、神社や寺院の造営や修繕の費用を集めるための資金集め(勧進)で行われることがほとんどでした。

一方で、各地の祭礼や盆の行事で草相撲も盛んに行われ、人気を博します。

現在では格式張ったイメージがある相撲界ですが、江戸時代は女性の観戦が禁じられており、血気盛んな男たちが好む娯楽でもありました。

しかし応援に熱が入りすぎて、見物客同士のケンカも多かったようです。このあたりは、西欧のサッカー観戦におけるフーリガンなどを連想しますね。

江戸時代初期の遊里案内書『色道大鏡』では、「悪性」のひとつとして角力(相撲)が挙げられていますが、博打や男伊達、大酒飲みと並ぶ「始末に負えないもの」とされているのです。

【後編】では、実は存在していた「女相撲」や、こうした芸能と無頼者たちとの関わりについて説明します。

【後編】の記事はこちら

歌舞伎で風紀が乱れる?江戸時代に歌舞伎や相撲が”危険視”されていた理由【後編】

女相撲に力士くずれ【前編】では、江戸時代の歌舞伎に対する規制やさまざまな興行について説明しました。[insert_post id=255023]本稿では、そうした芸能ジャンルと無頼…

参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書画像:Wikipedia

 

RELATED 関連する記事