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【大河べらぼう】誰袖花魁を身請けするも横領が発覚「土山宗次郎(栁俊太郎)」が辿った非業の末路

【大河べらぼう】誰袖花魁を身請けするも横領が発覚「土山宗次郎(栁俊太郎)」が辿った非業の末路:3ページ目

驕れる者、久しからず

過酷な蝦夷地調査が行われていた一方で、田沼政権の宗次郎は豪遊三昧。吉原遊郭で派手に遊び、大文字屋の誰袖花魁を1,200両(約1億2千万円)という大金で身請けするなど、とかく評判でした。

宗次郎と親しかった大田南畝(おおた なんぽ)はこんな狂歌を詠んでいます。

我恋は 天水桶の 水なれや 屋根よりたかき うき名にぞ立つ

【意訳】私の恋は、天水桶の水のようだ。屋根より高く浮名が立っている。

天水桶とは雨水を貯めておき、防火用水として用いるための桶です。火災が起こると屋根の上から水をかけて消火に努めることから、よほど高い浮名(男女関係の評判)が立っていることを表現したのでしょう。

また自身も狂歌師として活動しており、その狂名を軽少ならん(けいしょう -)としています。これは清少納言(せい しょうなごん)のもじりで「取るに足りない」という意味です。

この辺りが宗次郎の生涯におけるピークで、やがて天明6年(1786年)に第10代将軍・徳川家治が世を去ると、突如として風向きが変わりました。

松平定信はじめ反田沼派が台頭し、田沼意次を老中から罷免。田沼派の幕閣が次々と失脚していきます。

宗次郎も左遷され、富士見宝蔵番頭(ふじみほうぞうばんがしら)に降格されました。江戸城の富士見櫓で大奥の調度品を管理する責任者です。

このまま無事に済めばいいのですが、そうはいきませんでした。

やがて宗次郎の横領疑惑が発覚。以前に幕府が米価対策として米を買いつけるための資金から、500両(約5千万円)を横領していたというのです。

宗次郎は追及を避けるために逐電(逃亡)、武蔵国所沢(埼玉県所沢市)の金乗院(山口観音)で平秩東作に匿ってもらいました。

しかし発見・捕縛されてしまい、天明7年(1787年)12月5日に斬首。享年49歳。

終わりに

今回は田沼意次の側近として活躍し、誰袖花魁を身請けした土山宗次郎について、その生涯をたどってきました。

大河ドラマでは誰袖に思いを寄せるも田沼意知(宮沢氷魚)にとられてしまい、自身は名義でのみ誰袖を身請けした形にアレンジされています。

ちなみに誰袖は第29回放送「江戸生蔦屋仇討(えどうまれ つたやのあだうち)」でクランクアップ(出番終了)だそうで、土山宗次郎との関係は描かれないようです。

果たして宗次郎はどのような最期が演じられるのか、そもそも演じられるのか(いわゆるナレ死の可能性も)、気になりますね。

※参考文献:

  • 賀川隆行『日本の歴史11 崩れゆく鎖国』集英社、1992年7月
  • 河原芳嗣『江戸の旗本たち―墓碑銘をたずねて』アグネ情報センター、1997年7月
 

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