大河『べらぼう』誰袖に戻った笑顔「筆より重いものは持たねえ」名プロデューサー・蔦重の見事な仇討【前編】:2ページ目
作品に心血注ぐクリエーターVS非情な編集者
一ヶ月後、出来上がった北尾政演の原稿を読む「チーム蔦重」たち。政演は心の荷が降りたのか、仕事のご褒美である「吉原」にウキウキした様子でしたが…。
大田南畝(桐谷健太)は「これでは『極』は…つけられぬな」。蔦重の女房てい(橋本愛)は、「この話の面白さがわからない。主人公が世慣れておらず、それがゆえ騙されるというのがどうにも気の毒で。」と感想を述べます。
さらに、新之助(井之脇海)は「今、田舎から江戸に来るのは飢えた流民ばかりだ」「江戸に来て一旗あげようというのが今の時流にあっていない」と評判はイマイチでした。
政演は「そう書けって言ったじゃないですか」と抵抗するも書き直しを求められて、「素人の言うことをそんなに当てにしちゃっていいんですか〜」と争うのですが、「素人も面白えけど通も唸る。そういうもんにしねえと大当たりなんか無理だろ」と返す蔦重。
「俺には荷が重い」と断る政演。編集者として蔦重の言っていることは正論。クリエーターとして名を馳せるためには大切なことですが、それでも作り手にとっては「そんな無茶な!」と言い返したくなります。
一見、いつもふざけていて女好きでチャラついているように見えるけれども、実は繊細で仕事に打ち込むタイプだった政演。同じクリエーターという立場で、まじめな春町だけはその本心を見抜き「ここは俺に任せてくれ」と政演の家に行きます。
「俺は本が売れるとかどうでもいい」と笑って見せる政演でしたが、実は仕事部屋には山のように積み重なった書き損じの紙、積み重なった資料、たくさん書き込みがしてある本がありました。実は政演は、少しも手を抜いていなかったのです。それが分かるシーンで、少し切なかったですね。
現在残っている北尾政演の作品を見ても、繊細で緻密でまったく手を抜くことなく全身全霊で描き込んでいるのが伝わってきます。
“細かいことに悩み抜いて作品を作り上げる”という同じタイプだった政演と春町というクリエーターの立場。その苦労も知らず(知ってはいてもあえて無視する)売れる作品を作らせるために“情け容赦なく方針を変える”編集者やプロデューサー。そして、作品を買う側として“思ったままに感想をストレートに言う読者”。
「べらぼう」ではしばしば、クリエーター側と編集・出版・販売側の攻防が描かれますが、今回も三者三様のせめぎ合いが見どころでした。
ダメ出しされて何度もリテイクを重ねた経験のある作り手なら「政演の気持ちが分かる!」とうなずく場面だったと思います。

