『べらぼう』で描かれた佐野政言の”切腹”。武士道において作法まであった切腹はなぜ美徳なのか
日本古来の精神を象徴してきた「武士道」。そんな武士道と切ってもきれないもの、それは切腹です。切腹は、鎌倉時代の武士の誕生とともに確立し、かつては美徳とされました。
大河ドラマ「べらぼう」の第28回放送「佐野世直大明神」では、江戸城内で若年寄の田沼意知(宮沢氷魚)を斬った佐野政言(矢本悠馬)が切腹を命じられ、命を絶つ一幕が描かれました。
ちなみに佐野政言の実際の切腹時は、「べらぼう」では描かれなかった、斬首執行人とのやり取りがあったのです。
【べらぼう】史実では異なる佐野政言の切腹。世直大明神の「辞世の句」や社会的影響を紹介
天明4年(1784年)3月24日、江戸城内で若年寄の田沼意知(宮沢氷魚)を斬った佐野政言(矢本悠馬)。斬られた意知は重傷を負い、4月2日に息絶えてしまいました。[caption id="att…
話を戻して、人間の腹部は、心臓などのいわゆる急所とは異なるため、切腹は自殺の方法としては激しい苦痛を伴います。そのため、本人と別に、介錯人といって後ろから首を打ち落とす役目が必要でした。
現代人の感覚からすれば、喉をつく方が確実なような気もするのですが、なぜこのように腹を切ることが美徳とされたのでしょうか。
魂の在り処
それは当時、人間の生命の本体、つまり私たちが魂と呼んでいるものが、腹部に宿っているとされたからです。そのためその部分を切り開いて、人様に赤心をさらけだすというような意味で切腹という作法が定着したようです。
それが死を恐れない勇気と結びついて、武士の死に様としてはもっとも理想のものという考え方が生まれたそうです。
2ページ目 実際の切腹の作法
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