江戸のギャンブル沼。賭博の蔓延が規格外すぎた江戸時代、奉行が出した驚きの結論【後編】:2ページ目
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「遠山の金さん」はどう対応した?
賭博にはトラブルがつきものなので、幕府も社会秩序を乱す行為だとしてしっかり取り締まっています。
しかし、これも冗談のような話ですが、対象となり賭博行為があまりに多すぎて、完全に取り締まるのは現実的には難しかったようです。
そこで弘化4年(1847)、「遠山の金さん」で知られる南町奉行の遠山左衛門尉景元は、北町奉行の鍋島直孝と連名で次のような上申をしました。
「風俗や賭博の取り締まりを厳しくすると、人々の気持ちが萎縮してしまう。そうなると経済活動が停滞し、人々の生活も苦しくなる」と。
もはや開き直りとも言える上申書ですが、全てを取り締まろうとするのではなく、現実を見て対応しようとする「金さん」の姿勢が見て取れますね。
このように、名奉行と呼ばれた人物が匙を投げるほど、江戸では賭博が蔓延していたのです。
参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書画像:photoAC,Wikipedia
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