江戸時代の藩札=地方通貨の先駆け?信用と破綻のはざまで揺れた危険な通貨制度を解説:3ページ目
藩札の価値を支えた「信用」
そんなこともあり、藩では専売品の生産を奨励するために積極的に藩札を発行します。
専売品はおもにその地域における特産物で、藩が一括して藩札で買い上げ、大坂の蔵屋敷などで販売し、その売り上げを正貨で備蓄するのです。
このような場合の藩札は、地場産業を振興させ地域を活性化させるために、諸藩(諸大名)が発行した地域通貨であると理解することができます。
藩札の発行には、いざというときには正貨と交換してもらえるという安心感と信用が不可欠なのですが、実際には、多くの藩は備蓄されている正貨の3倍くらいの藩札を発行していました。
そのため、藩札の運用が行き詰まってその価値が下落すると、領民が正貨との交換のために殺到する騒ぎが起きたり、一揆や打ちこわしが発生したりしました。
藩札には、札元となった藩内の有力商人の名前が記されていたので、領民は「あの人が保証するというなら」と信用してしまいます。藩の流通強制力は有力商人の信用によって補われていたのです。
かつては、藩札を発行しすぎて価値が暴落し、藩札を押しつけられた庶民は被害者であったと理解されることが多かったようです。
実際、大名が改易されて御取り潰しにでもなれば、藩札は一瞬にして紙くずになってしまいます。
改易された大名は、江戸時代初期に集中しているとはいえ200家以上あり、廃藩置県で藩が消滅するまでに244藩で発行されたことがありました。藩札のシステムは、常に破綻の危険性と背中合わせだったのです。
明治政府が全国統一の貨幣制度や日本銀行を設立し、近代的な金融システムを構築したのは、こうしたリスクを避けるためでもありました。
参考資料:執筆・監修阿部泉『明日話したくなるお金の歴史』清水書院、2020年
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