徳川家康が子を託した男「平岩親吉」天下を陰で動かした知られざる生涯【後編】:2ページ目
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義直とともに尾張へ――藩政を支える晩年
その後、義直が尾張に移ると、親吉もそれに従って清洲、そして名古屋へと移ります。
晩年になってもなお、親吉は藩政の重責を担い続けました。幼い主君の成長を見守り、時に導き、支え続けたその姿――まさに「傅役(もりやく)」としての人生の集大成だったといえるでしょう。
信康、仙千代、義直。三人の子どもたちが、それぞれの時代に親吉に託されました。親吉の人生は、一貫して「育て、支える」ことに尽くされていたのかもしれません。
名を残さずとも、偉大な生き方
1612年、親吉は名古屋城で亡くなります。享年七十。子がいなかったため、平岩家はここで断絶しますが、家臣たちはそのまま義直に仕え続けました。領地も返上され、後継は置かれませんでした。
戦場で大手柄を立てたわけではありません。けれど、家康が心から信じ、自らの子どもたちを託した男――その生き方こそ、特筆すべきものではないでしょうか。
親吉のように、表に名を残すことはなかったとしても、人を育て、未来を支えた生涯。
それはまさに、“天下を陰で支える仕事”だったのだと思います。
参考
- 平岩親吉 天下人から絶大な信頼を得た忠臣 『日本の旅侍』
- 平岩親吉の悲しみと忠義 YouTube
- 小和田哲男監修『ビジュアル 戦国1000人』(2009 世界文化社)
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