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徳川家康の”影の右腕”「平岩親吉」忠義と悲哀に満ちたその苦悩の生涯をたどる【前編】

徳川家康の”影の右腕”「平岩親吉」忠義と悲哀に満ちたその苦悩の生涯をたどる【前編】:2ページ目

もうひとつの辛い命令――水野信元を討つ

実は、親吉はその少し前にも重い命を受けています。それは、家康の伯父・水野信元(みずの・のぶもと)を討つよう命じられたことでした。

親吉は、信元を寺に誘い出し、討ち取ります。その後、信元の亡骸を抱きしめ、「あなたに恨みなどなかった」と、涙ながらに詫びた――そんな話が残されています。

それが本当にあったことかは定かではありません。けれど、そうあっても不思議ではない。
親吉という人物の、誠実で、人間らしく、苦しみながらも忠義を尽くす姿がそこに見える気がします。

どれほどつらい決断を背負っても、親吉は家康に背くことはありませんでした。そして家康もまた、親吉を見捨てませんでした。

親吉はただの家臣ではなく、家康にとっては人生をともに歩んだ「家族」のような存在だったのでしょう。

信じ、支え、背負い、苦しみながらも、最期まで忠義を貫いた平岩親吉。その生き方には、言葉にできない重みと、戦国の世に生きた人間の真実が、にじんでいるように思えます。

【後編】の記事は以下から

徳川家康が子を託した男「平岩親吉」天下を陰で動かした知られざる生涯【後編】

※【前編】の記事はこちら↓[insert_post id=252375]本能寺の変のあと、甲府へ派遣される[caption id="attachment_254027" align="…

参考

 

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