大河「べらぼう」にも登場!狂歌ブームを築いたインフルエンサー7人のキャラと関係性を一挙紹介
政治批判や社会風刺、日常生活のあるあるに至るまで、五七五七七で詠み飛ばす狂歌。
江戸時代の天明年間(1781~1789年)に広く大流行した背景には、社会不安や鬱屈したストレスがあったのかも知れません。
そんな天明狂歌をリードしたインフルエンサーとして、狂歌三大家や狂歌四天王と呼ばれる人々がいました。
今回は天明狂歌の三大家と四天王をそれぞれ紹介。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の予習にどうぞ!
狂歌三大家(朱楽菅江・唐衣橘洲・四方赤良)
天明狂歌の三大家と呼ばれたのは、以下の3名です。
- 朱楽菅江(あけら かんこう)
- 唐衣橘洲(からごろも きっしゅう)
- 四方赤良(よもの あから)
※50音順。
さっそく、それぞれのプロフィールを見ていきましょう。
※生没年は元号(西暦)旧暦月日で表記するため、必ずしも現代の年月日と一致しません。
朱楽菅江(あけら かんこう)
- 生没:元文5年(1740年)10月24日生~寛政10年(1799年)12月12日没
- 本名:山崎郷助景貫(やまさき ごうすけ かげつら)
- 身分:武士(幕臣)
狂号(ペンネーム)の由来は「あっけらかん」。他にも芬陀利華庵(ふんだりげあん。踏んだり蹴ったりのもじり)などがあります。
【大河ドラマ べらぼう】狂歌ブームの立役者・朱楽菅江とは何者?その生涯をたどる
和歌を嗜み、妻の節松嫁々(ふしまつの かか)と一緒に朱楽連を結成。四方赤良に触発されて戯作も執筆。多くの作品を世に出しました。
大河べらぼうでは浜中文一が演じています。今のところまだアピールが足りていない印象ですが、これからグイグイ出てくるのを期待しましょう。
唐衣橘洲(からごろも きっしゅう)
- 生没:寛保3年(1744年)12月4日生~享和2年(1802年)7月18日没
- 本名:小島源之助謙之(こじま げんのすけ よしゆき)
- 身分:武士(幕臣)
唐衣とは和歌において「着る」等にかかる枕詞。在原業平「唐衣 着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ(歌意:着慣れた唐衣のように連れ添った妻と離れる寂しさを実感する)」が有名ですね。
つまり唐衣橘洲(からころも きつしう)という狂号は「唐衣、着つ為得(しう。成し遂げる)」という意味になります。
【大河べらぼう】天明の狂歌界を牽引!狂歌の三大家のひとり「唐衣橘洲」とは何者?その生涯をたどる
温雅な歌風が特徴で人気を集めましたが、次第に四方赤良と対立。一度は圧倒されて狂歌界から遠ざかりますが、後に復帰して没年まで活躍しました。
大河べらぼうでは未登場です。
四方赤良(よもの あから)
- 生没:寛延2年(1749年)3月3日生~文政6年(1823年)4月6日没
- 本名:大田七左衛門覃(おおた しちざゑもん ふかし)
- 身分:武士(幕臣)
狂号の由来は「四方どこから見ても赤ら顔(完全に酔っ払っている)」とも、宝暦年間の言葉遊び「鯛の味噌津で四方のあか、のみかけ山の寒鴉……」にとも言われています。
天明狂歌を流行させる仕掛け人となった一人で、狂詩や戯作など多才ぶりを発揮しました。大田南畝(なんぽ)や蜀山人(しょくさんじん)、寝惚先生(ねとぼけせんせい)等の別号も有名ですね。
他の大家と同じく深い学識や教養を感じさせる歌風に加え、エッジの利いた皮肉や洒落でも好評を博しました。
大河べらぼうでは桐谷健太が好演しています。




