大河「べらぼう」にも登場!狂歌ブームを築いたインフルエンサー7人のキャラと関係性を一挙紹介:2ページ目
狂歌四天王(鹿津部真顔・銭屋金埒・頭光・宿屋飯盛)
天明狂歌の四天王と呼ばれたのは、以下の4名です。
- 鹿津部真顔(しかつべの まがお)
- 銭屋金埒(ぜにやの きんらち)
- 頭光(つむりの ひかる)
- 宿屋飯盛(やどやの めしもり)
※50音順。
さっそく、それぞれのプロフィールを見ていきましょう。
鹿津部真顔(しかつべの まがお)
- 生没:宝暦3年(1753年)生~文政12年(1829年)7月6日没
- 本名:北川嘉兵衛(きたがわ かへゑ)
- 身分:町人
狂号の由来は「しかめっ面の真顔」。あまり洒落の通じない性格だったのか、あるいは世の風潮に批判的な言動が多かったのかも知れませんね。
元木網(もとの もくあみ)や四方赤良に狂歌を学び、後に算木有政(さんぎの ありまさ)や銭屋金埒と組んで数寄屋連(すきやれん)を結成しました。
後に四方赤良から四方の姓(名乗り)を許されるほど歌才に富み、化政期(文化&文政。1804~1831年)には宿屋飯盛と狂歌界を二分するほどの権威となったと言います。
大河べらぼうでは未登場です。
銭屋金埒(ぜにやの きんらち)
- 生没:宝暦元年(1751年)生~文化4年(1808年)1月1日没
- 本名:馬場甚兵衛(ばば じんべゑ)
- 身分:町人
銭屋とは両替商で、金はそのまま貨幣のこと。埒(らち)とは馬場の周囲に巡らせた柵で、本名の馬場にかけています。狂号は「銭屋ですから、お金のことはキッチリしまっせ」程度の意味と考えられます。
はじめ元木網の落栗連(おちぐりれん)に弟子入りして、物事名輔(ぶつじ めいすけ)という狂号を授かりました。意味は「ぶっちめぇ(投げ捨ててしまえ等)」でしょうか。
後に同門であった鹿津部真顔へ弟子入りし、師と共に数寄屋連を結成しました。
大河べらぼうでは未登場です。

