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大河「べらぼう」にも登場!狂歌ブームを築いたインフルエンサー7人のキャラと関係性を一挙紹介

大河「べらぼう」にも登場!狂歌ブームを築いたインフルエンサー7人のキャラと関係性を一挙紹介:3ページ目

頭光(つむりの ひかる)

  • 生没:宝暦4年(1754年)生~寛政8年(1796年)4月12日没
  • 本名:岸宇右衛門誠之(きし うゑもん まさゆき)
  • 身分:町人

狂号は文字通り「頭が光っている=ハゲ」に由来。その潔さが素晴らしいですね。また岸文笑(ぶんしょう)等の号も知られています。

若い頃は浮世絵師として活動し、後に四方赤良へ弟子入りして狂歌師として活躍。伯楽連(はくらくれん)を主宰するようになりました。

伯楽とは名馬の目利きを意味し、その名の通り、多くの門人を世に送り出したと言います。

大河べらぼうでは未登場です。

宿屋飯盛(やどやの めしもり)

  • 生没:宝暦3年(1754年)12月14日生~文政13年(1830年)閏3月24日没
  • 本名:糠屋七兵衛(ぬかや しちべゑ)
  • 身分:町人

狂号は家業が宿屋(旅籠)の主人であったことに由来します。学者として石川雅望(いしかわ まさもち)の名乗りも有名ですね。

【べらぼう】で又吉直樹が演じる狂歌四天王・宿屋飯盛 〜遊女名を冠した男の素顔と復活劇

大田南畝に学び、狂歌四天王の一人に数えられた狂歌師宿屋飯盛(やどやのめしもり)日本橋で宿屋を営んでいたことが狂名の由来とされる。狂歌集の編集・出版で蔦重(横浜流星)と協力し、天明8年には、…

幼少期から和漢の学問を修め、狂歌は頭光や四方赤良に学びました。後に頭光らと伯楽連を結成し、狂歌界を牽引する存在として活躍するようになります。

冤罪によって一時は狂歌界を遠ざかるも、国学者として研究に打ち込み、復帰後は狂歌連「五側(ごがわ)」を結成。鹿津部真顔と狂歌界を二分する権威となりました。

大河べらぼうでは又吉直樹が演じています。

天明狂歌の三大家&四天王まとめ

氏名 生没年 概要 大河べらぼう
朱楽菅江 1740~1799 三大家・妻と朱楽連を結成/武士(幕臣) 浜中文一
唐衣橘洲 1744~1802 三大家・四方赤良と対立/武士(幕臣) 未登場
四方赤良 1749~1823 三大家・天明狂歌ブームの仕掛け人/武士(幕臣) 桐谷健太
鹿津部真顔 1753~1829 四天王・銭屋金埒と数寄屋連を結成/町人(戯作者) 未登場
銭屋金埒 1751~1808 四天王・鹿津部真顔の弟子/町人(両替商) 未登場
頭光 1754~1796 四天王・四方赤良の弟子/町人(浮世絵師) 未登場
宿屋飯盛 1754~1830 四天王・頭光と伯楽連を結成/町人(旅籠屋) 又吉直樹

※筆者まとめ。

今回は天明狂歌を牽引していた三大家と四天王について、それぞれのメンバーを紹介してきました。蔦屋重三郎(寛政9・1797年没)よりも先に世を去るのは頭光のみとなっています。

大河べらぼうにはまだ3/7名しか登場していませんが、今後続々と登場・活躍してくれることでしょう。

誰がキャスティングされるのかも含めて、今から楽しみですね!

※参考文献:

  • 市古貞次ら監修『日本古典文学大辞典 第1巻』岩波書店、1983年10月
  • 上田正昭ら監修『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年1月
  • 岡本勝ら編『新版近世文学研究事典』おうふう、2006年2月
 

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