
イケメンすぎる若き将軍・足利義尚!室町幕府の権威回復を一身に背負った悲劇的な人生…【後編】
応仁の乱終結直後、失墜した足利将軍家の権威を回復すべく命を懸けて奮闘した若き将軍・足利義尚(あしかが よしひさ)。
室町幕府の権威回復を一身に背負う!威風堂々たる若き緑髪将軍・足利義尚の悲劇的な人生【前編】
その美しい容姿から「緑髪将軍」と称された義尚は、遠征先の近江・鈎御所(まがりごしょ)において、父・義政に代わり幕府政治を執り行います。しかし、志半ばで突然の病に倒れてしまいます。
【後編】では、将軍・義尚を襲った悲劇と、あまりにも短かったその生涯をご紹介します。
高貴な武家そのものの凛々しい若武者
今回の主人公である室町幕府第9代将軍・足利義尚(あしかが よしひさ)の面影をうかがい知ることができる歴史的資料として、現在、2点の肖像画が伝えられています。
一つは『地蔵院本』と呼ばれるもので、騎馬武者姿の「絹本著色騎馬武者像」が描かれています。もう一つは『天龍寺本』で、こちらには束帯姿の人物が描かれています。
これらの肖像画は、長らく室町幕府初代将軍・足利尊氏の像と伝えられてきました。しかし、日記などの史料に記された装束や人物の特徴と照らし合わせた結果、いずれも足利義尚に類似していることが明らかとなり、現在では両作品とも「足利義尚の肖像画」であると考えられるようになっています。
キリリとした切れ長の大きな目。高く整った鼻。小さく引き締まった口。どちらの肖像画を見ても、高貴な武家そのものといった凛々しく美しい顔立ちが、見る者の目を奪います。
足利義尚は、その容姿について古記録に「御容顔いとも美しく、すきのない玉の御姿」と記されるほどの美男子でした。そのため、当時の人々からは「緑髪将軍」とも称えられていたのです。
追討軍を率いる義尚は、このとき23歳。『絹本著色騎馬武者像』に描かれたその雄姿は、梨打ち烏帽子を戴き、紅金襴の直垂を身にまとい、弓を手にし、矢を背負って、河原毛の名馬にまたがる颯爽たるものでした。まさに、諸大名の頂点に立つ威風堂々たる若き将軍の姿であったのです。
『蔭凉軒日録』には、京都を出陣する義尚の威容について「その御形体、神工もまた画きだすべからず。天下壮観、これにすぎるはなし」と記されており、見送る大群衆がみな手を合わせたとも伝えられています。
しかし、このわずか2年後に義尚の運命は暗転するのでした。