悪名高い”開拓使官有物払い下げ事件”の真相!実業家・五代友厚は新聞の誤報に翻弄されていた【前編】:3ページ目
そして政変へ
今では誤報と分かっているとはいえ、当時は、現代のようなファクトチェックの仕組みなどありません。この、薩摩出身者同士の癒着とみられた事件は、薩長藩閥政府への批判を招きます。
そして国会開設や憲法制定を要求する自由民権運動が活発化するきっかけにもなりました。
その一方で、佐賀藩出身の大隈が政府の打倒を図るべく新聞社に情報をリークした……との陰謀論も流されます。
これを受けて、政府は大隈に参議辞任を求めるとともに払い下げの中止を決定。さらに明治2年(1890年)の国会開設を約束する勅諭を発し、事態の収拾を図りました。
こうした一連の経過は、ご存じの通り明治14年の政変と呼ばれています。
開拓使官有物払い下げ事件は単なるスキャンダルにとどまらず、明治時代の政治史に大きな影響を与えました。五代はまさに政変に翻弄されたと言えるでしょう。
【後編】では、五代が記した知られざる「弁明書」の存在や、五代友厚とは一体どんな人物だったのかについてさらに掘り下げます。
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悪名高い”開拓使官有物払い下げ事件”の真相!五代友厚の名誉を取り戻した“幻の史料”とは?【後編】
知られざる弁明書【前編】では、五代友厚の悪評のもとになったいわゆる開拓使官有物払い下げ事件が誤解だったことと、それが政治史に及ぼした影響を解説しました。[insert_post id=25…
参考資料:中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia

