「大江戸八百八町」はウソ!?超巨大都市・江戸は行政区分や町奉行の管轄もめちゃくちゃだった:3ページ目
3万件が後回し
では、町奉行の管轄範囲が最大化した19世紀初頭には、当の町奉行はどれだけの案件を抱えていたのでしょうか。
まず、享保3年(1718)の町奉行の訴訟総数は4万7731件にのぼったことが記録に残っています。このうち金銭訴訟は3万3037件を数え、全体の約7割に達していました。
一方、江戸町奉行所がこの年に処理できたのは1万1651件。実に3万件以上はペンディングされ、次年度に回されてしまっていたのです。
つまり19世紀初頭は江戸の都市化が進んだことから、各行政機関の管轄範囲が不明瞭だった時期といえます。町奉行も民事の訴訟を多数抱えており、犯罪捜査に手が回らない状況だったのです。
長谷川平蔵や、一方の池波正太郎作品で有名な『仕掛人藤枝梅安』の物語は、マンモス都市となった江戸において、行政の目が届かない闇が最も広がった時代が舞台となっているのです。
参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書画像:Wikipedia
