大河「べらぼう」たった350円で春を売る…喜多川歌麿(染谷翔太)の鬼畜母が生業とした「夜鷹」の実態とは?【後編】:3ページ目
夜鷹の水上版・船饅頭(ふなまんじゅう)も人気が高かった
夜鷹が陸上で春を売る最下級の遊女だとすれば、海の入り江や川筋で客をとる娼婦もいました。いわば水上版夜鷹とも言うべき女性たちが、「船饅頭」です。
彼女たちは川べりに小さな舟を浮かべ、土手を行き交う男たちに声を掛けて舟へと誘いました。
寛政から天保までの風俗の変遷を記した『寛天見聞記』には、船饅頭について以下のように記されています。
「天明の末までは、大川中洲の脇、永久橋の辺りへ、舟まんぢうとて、小船に棹さして岸に寄せて、往来の裾を引き、客来る時は、漕ぎ出して中洲一とめぐりするを限りとして、価三十二文なり。」
遊女が声をかけた男が承知すると、船頭は小舟を岸に寄せました。そして、舟が大川(隅田川)に浮かぶ中洲を一周する間にことを済ませるのが決まりだったようです。
揚代は、当初は夜鷹と同じ24文でしたが、のちに値上げされ、32文に落ち着いたようです。
水運が発達した江戸の町には、縦横に多くの掘割が走り、それらの水路は隅田川に通じていました。
穏やかな夜、頭上の月を眺めながら川風に吹かれ、ゆらゆらと揺れる舟の中で女との一夜限りの情愛に身を委ねる。船饅頭には、夜鷹とはひと味違う風情があり、それが好まれたのかもしれません。
さて、【前編】【後編】の2回にわたり、夜鷹について述べてきました。
確かに夜鷹は、卑しく汚らしいと称されても仕方のない、最下級の遊女であったかもしれません。
それでも、そんな夜鷹たちを受け入れ、共存し、時には幕府の理不尽なやり方を揶揄する江戸庶民のバイタリティを、彼女たちを通して感じ取ることができるのではないでしょうか。
※参考文献:樋口清之著 『もう一つの歴史をつくった女たち』ごま書房新社

