
信仰より生存を選ぶも妻子は処刑…「島原の乱」唯一の生存者・山田右衛門作の壮絶な裏切りの記録【前編】:2ページ目
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一揆勢の中で彼は、天草四郎に次ぐ副将の役割を担い、本丸の守備を任されました。また、「天草四郎陣中旗」と呼ばれる聖旗を描いたとも伝えられています。
しかし、彼の心は一揆に染まっていたわけではなく、家族を守るために幕府軍と密かに交渉を始めていました。城内の情報を伝え、幕府軍が総攻撃を仕掛ける際には、内部から混乱を引き起こすことを申し出たのです。
右衛門作は、幕府軍に向けて密かに「矢文」を送っていました。矢文とは、矢に結びつけた文書のことで、敵陣へ素早く情報を伝えるために使われていました。
彼はこの矢文で、城内の状況を伝え、幕府が総攻撃を仕掛ける日時を事前に知らせてくれれば、一揆勢を混乱させる手助けをすると約束していました。
しかし、この矢文が思わぬ形で一揆勢の手に渡ってしまいます。ある夜、城内の見張り役の兵が、たまたま幕府軍が放った矢文を拾い上げました。そこには、右衛門作の筆跡で、幕府軍とのやりとりが詳細に記されていました。
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信仰より生存を選ぶも妻子は処刑…「島原の乱」唯一の生存者・山田右衛門作の壮絶な裏切りの記録【後編】
日本の歴史には、多くの戦乱や反乱がありましたが、その中でも江戸時代最大の一揆とされるのが、「島原(・天草)の乱」です。この乱の結末は、幕府の圧倒的な軍勢による鎮圧と、一揆勢のほぼ全滅という悲劇…
参考文献
- 北野典夫『天草キリシタン史-幻のパライゾへ』(1987 葦書房)
- 神田千里『島原の乱』(2005 中央公論新社)
- 鶴田倉造著 『Q&A 天草四郎と島原の乱』 (2008 熊本出版文化会館)
- 歴史の謎研究会編『誰も知らなかった顛末 その後の日本史』(2017 青春出版社)
※トップ画像はイメージ(メトロポリタン美術館蔵 Public Domain)
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