
死を隠した3年間、実はバレバレだった影武者…戦国時代の名将・武田信玄の伝説の真相をあばく
騎馬軍団のイメージと現実
戦国時代の名将・武田信玄といえば、騎馬軍団を率いて戦場を駆け抜けたイメージが強いですが、実はその実態や死後のエピソードには意外な一面もあります。
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まずは騎馬軍団のエピソードから。信玄の軍勢は「常勝軍団」と呼ばれました。その強さの秘密は、信玄が作った騎馬軍団にあります。
映画やテレビドラマでは、騎馬武者たちが颯爽と登場し、怒濤のごとく押し寄せて次々と波状攻撃をかける迫力満点の姿が描かれています。
しかし、近年ではこのイメージに疑問が投げかけられているのです。
実は、戦国時代の馬は小型で、背に人を乗せて縦横無尽に駆け巡ることは難しかったとされています。日本で大型馬が登場するのは明治時代以降のことなのです。
実際、『甲陽軍鑑』によると武田軍1000人のうち馬に乗ったのは7、8人程度で、残りは馬を後ろに引いて槍で戦ったそうです。
騎乗した武者も疾風のごとく突入するのではなく、馬上から徒歩の兵士を指揮する役割だったとか。騎馬軍団というよりは馬を使ったサポート隊といった感じですね。