吉原遊女の日常光景が眼に浮かぶ…『青楼美人合姿鏡』に詠まれた遊女たちの俳句を紹介【大河ドラマべらぼう】:2ページ目
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三味線尓(に) さひしさ(寂しさ)志らぬ(知らぬ) 砧(きぬた)可奈(かな)
※秋の部・江可ハ(えがわ。江川か)
【句意】三味線で砧の曲を謡っていると、寂しさ知らずで(忘れて)いられる。
砧とは藁(ワラ)を打って柔らかくする木槌のような道具です。
よく昔話で農家の妻が砧で藁を打つ描写が出てきますが、あれは夫のいない寂しさを紛らわせる仕草なのだとか。
また三味線の謡に砧物というジャンルがあり、それにかけているのかも知れません。
むらさ記(紫)の 筑波(つくば)も向し(同じ?) けさの雪
※冬の部・禾■機(~き?)
【句意】今朝の雪は、紫峰と呼ばれる筑波山と同じくらい美しい。
崩し字が読み切れませんでした。ごめんなさい。それはそうと、彼女は筑波の出身だったのでしょうか。
朝夕の日差しに山肌の色を変え、その美しさから紫峰(しほう)と称えられる筑波山を思い出しながら詠んだのかも知れませんね。
終わりに
今回は『青楼美人合姿鏡』より、遊女たちの詠んだ俳句を紹介してきました。
どれもこれも美しく、辛い中にもささやかな慰めがあったのだと感じられます。
中には「こんなの絵空事だ」と思われた方がいるかも知れません。
確かに吉原遊女たちは過酷な勤めを課せられて、その多くは年季明けより前に若い生命を散らして行きました。
生まれては 苦界、死しては 浄閑寺
※花又花酔
一度大門を潜ったら、生きて出られるのはひと握り……そんな現実を変える夢を語る蔦重。
その姿と心意気に、多くの視聴者が涙したことでしょう。
果たして蔦重は吉原遊廓を変えられるのか、瀬川との関係がどのように続いていくのか、これからも目が離せませんね!
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