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大河『べらぼう』平賀源内と言えば発明品「エレキテル」…で、エレキテルって何?その仕組みや由来を紹介

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6年がかりでエレキテルの復元に成功

遠い異国には、そんな酔狂な代物があるんだねぇ……多くの人はその程度の興味でしたが、我らが源内先生は一味違います。

明和7年(1770年)、源内は長崎の滞在中にオランダ通詞の西善三郎(にし ぜんざぶろう)から壊れたエレキテルを購入しました。

「こんなガラクタ、どうすんですか?」

「決まってらぁ、直すんだよ!」

職人の弥七(やしち)と二人がかりでエレキテルの修理に着手した源内は、苦心の末にエレキテルの復元・模造に成功したのです。

時は安永5年(1776年)、実に6年がかりの大仕事でした。

エレキテルの仕組み

さてこのエレキテル、静電気を集めて火花をパチッと鳴らす絡繰仕掛けです。

外からハンドルを回すと中で蓄電瓶(ライデン瓶)が摩擦して静電気を蓄え、溜まった静電気が導線を通じて、外の電極からパチッと放電されるという次第。

まったくもって不思議な限り。これは雷神様の神通力か……源内は静電気の発生を陰陽道や仏教をもって論じており、電磁気学に関する体系的な知識を持っていた訳ではなさそうです。

しかしそんな中でエレキテルを見よう見まねで作ってしまうのだから、やはり流石は源内先生……と言ったところでしょうか。

しかしこれが何に使えるのか?と聞かれると……やはり見世物とか気休めの医療程度にしか使えませんでした。

世が世なら、もっと才能を開花・結実させられたかも知れないのに……やがて源内は刃傷沙汰で投獄され、そのまま獄死してしまったのです。

時に安永8年(1780年)12月18日、その死は多くの人士から悼まれたのでした。

3ページ目 その後のエレキテル

 

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