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ライト兄弟より先に飛行機の原理を発見し、日本の航空技術を切り拓いた二宮忠八の功績【前編】

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カラスの滑空から着想を得た「飛行器」

1887年、忠八は 香川県丸亀歩兵第12連隊 に徴兵されます。ある日、野外演習中に カラスが羽ばたかず滑空する姿 を目にし、「固定翼を使えば人間も空を飛べるのではないか」と閃きます。これが「固定翼飛行機」発明のきっかけとなりました。

1889年、忠八は 「烏型飛行器(からすがたひこうき)」 を製作。陸軍病院勤務の際に 聴診器のゴム管 を流用し、ゴム動力でプロペラを回す推進式の 模型飛行器 を完成させました。 1891年4月29日長さ45cm、翼幅30cmの模型3mの滑走後、約10mの飛行に成功。日本初のプロペラ飛行実験となり、翌日には36mの飛行を記録しました。

有人飛行を目指した「玉虫型飛行器」と軍の冷たい反応

1893年、忠八は有人飛行を想定した「玉虫型飛行器」を設計します。これは無尾翼の複葉機で、下の翼が操縦翼面 として機能する先進的な設計でした。縮小模型(翼幅約2m)を製作し、さらなる飛行実験を重ねます。

忠八は 日清戦争 に従軍中、「飛行器が戦場で偵察や観測に役立つ」と考え、参謀・長岡外史大佐大島義昌旅団長 に軍事利用を三度上申しますが、「今は戦時中である。本当に飛んだら聞いてやろう」と一蹴されます。失望した忠八は 陸軍を退役 し、資金を自力で調達しながら独力で研究を続ける道を選びました。

しかし、当時の日本では、 莫大な資金 が必要な飛行機開発を個人が行うのは非常に困難で、忠八は夢を一時断念することになります。

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ライト兄弟より先に飛行機の原理を発見し、日本の航空技術を切り拓いた二宮忠八の功績【後編】

【前編】の記事はこちら↓[insert_post id=240733]飛行器の開発を断念した忠八は大日本製薬株式会社に入社し、努力の末に 支社長 へと昇進しました。この頃から彼は自動車業界…

参考文献

 

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