
ライト兄弟より先に飛行機の原理を発見し、日本の航空技術を切り拓いた二宮忠八の功績【前編】
飛行機の発明者として多くの人が ライト兄弟 の名前を挙げるでしょう。しかし、実は彼らが有人動力飛行を成功させる 10年以上も前 に、日本人が独自に飛行機の開発を試みていたことをご存じでしょうか?
その人物こそ 二宮忠八(にのみや ちゅうはち)。
彼は 日本初の飛行器(ひこうき) を発明し、有人飛行を目指しましたが、資金や社会の理解の壁に阻まれ、その夢は実現しませんでした。彼の物語は、 新しい技術や発明がいかに先見的であっても、理解や支援がなければ埋もれてしまう という重要な教訓を私たちに伝えているように感じます。
そこで、今回は、 日本航空技術の先駆者・二宮忠八が辿った波乱の人生と挑戦について見ていきたいと思います。
関連記事:
空に憧れて、空をかけてゆく。空に散った全ての人を祀る京都・八幡の飛行神社
『風立ちぬ』、観ましたか。ゼロ戦の開発者・堀越二郎の評伝に、同時代の小説家・堀辰雄のエッセンスを入れ、さらには監督・宮崎駿の自伝的要素も交えた、今夏最大の話題作です。「宮崎駿の最高傑作」から「何が…
少年時代 ― 空への憧れと発明家としての芽生え
1866年、愛媛県八幡浜市に生まれた二宮忠八。幼い頃、家は裕福でしたが、父の死や兄たちの放蕩、事業の失敗で困窮し、忠八は雑貨店や薬屋で働きながら家計を支えました。それでも夜な夜な物理学や化学の本を読み、発明への情熱を燃やしていきます。
凧作り にも夢中になり、自ら考案した「忠八凧」を販売するなど、発明への第一歩を踏み出しました。また、錦絵に描かれた気球 に強く憧れ、「気球付きの凧」を作るなど空への夢は膨らむばかりでした。
ページ: 1 2