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大河ドラマ「べらぼう」の名物!?蔦屋重三郎(横浜流星)のダジャレのひとつ『これしか中橋』ってどこの橋?

大河ドラマ「べらぼう」の名物!?蔦屋重三郎(横浜流星)のダジャレのひとつ『これしか中橋』ってどこの橋?

蔦屋重三郎「これしか中橋(なかばし)と思うんですが……」

九郎助稲荷「これしか中橋って、ずいぶん危ない橋だと思いますけどねぇ……」

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の名物?となりつつある、蔦重(つたじゅう)こと蔦屋重三郎(横浜流星)のダジャレ。

とかくお江戸の庶民は地口や冗談が好きで、古典文学や落語には、そんな親父ギャグがあふれ返っています。

「ありがた山の寒がらす(とんびがらす)」

「かたじけ茄子(なすび)」

「そうはイカの嘴(くちばし)」……などなど。

それで今回は、この「これしか中橋」の中橋という橋は実在するのでしょうか?

芸能の中心街として栄えた中橋

江戸時代の地図を見ると、中橋という橋がいくつかあります。

考えて見れば「中間の橋」という意味だから、そんなに珍しいネーミングでもありませんよね。

ただし蔦重の言っている中橋は特定が可能で、紅葉川(もみじがわ)と呼ばれていた水路に架かっていました。

名前の由来は日本橋と京橋の中間に架かっていたから中橋です。

この辺りは寛永元年(1624)に中村勘三郎(なかむら かんざぶろう。猿若勘三郎)がお江戸で初めて芝居小屋を掛けており、これが江戸歌舞伎の嚆矢とされました。

2ページ目 紅葉川は都市開発で埋め立てられ…

 

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