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ほとんどの守護大名が「戦国大名」になれなかったのはなぜ?両者を分かつものは何だったのか

ほとんどの守護大名が「戦国大名」になれなかったのはなぜ?両者を分かつものは何だったのか:2ページ目

下克上による成り上がり

さて、守護大名の立場からいわゆる戦国大名へと転身した大名としては、甲斐の武田氏、駿河の今川氏、近江の六角氏、豊後の大友氏、薩摩の島津氏などがいますが、実はこうしたタイプは少数派です。

多くの戦国大名は、守護の家臣である守護代か、有力地侍の国人からの成り上がりでした。

このように、下の者が上の者にとってかわるのをなんと呼ぶかはご存じですね。そう、下克上です。

多くの戦国大名は守護大名の立場から穏健に転身したのではなく、下克上によって政治的実権を奪う形で成り上がっていったのです。

ところで、守護の多くが実権を奪われたのは、自分の領地に常駐していなかったことが最大の理由でした。最後にこの、守護大名が領地に常駐していなかった理由を説明します。

3ページ目 形式的な権力者

 

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