弥生時代の遺跡で出土する「銅鐸」は何に使われてたの?住居跡からは出土しない理由とは?:2ページ目
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どのように使われたのか
一世紀末からは大型化が進み、銅鐸は音を鳴らして聞くものから、地面か祭殿の床に置いて鑑賞する道具へ変化したようです。鑑賞用とみられる銅鐸の外面には、当時の習俗も描かれています。
小高い丘の上に埋められている理由をめぐってはいくつかの説があり、祭祀が終わると埋めて放棄された説、銅鐸が祭祀に使われなくなって埋められた説、地中で保管され祭祀のたびに掘り出されて利用された説などが挙げられます。
このうち、有力なのは3つ目の保管するために地中に埋められた説です。
銅鐸は、春と秋の農耕祭祀に使われたと推測されることから、夏と冬の間は地中に埋められていたと考えられます。
地中に埋められた銅鐸を掘り出す作業が、地霊や穀霊を地上に迎え、祀ることを意味したのかも知れません。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia
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