乙丸、無事でいてくれ!「刀伊の入寇」の詳細など…『光る君へ』12月1日放送回を楽しく振り返る:3ページ目
隆家の子?藤原政則が大活躍
今回は登場しないようですが、隆家の子という説がある藤原政則(まさのり)も大いに奮闘していました。
……寛仁三年。刀伊賊寇対馬壱岐。攻殺壱岐守理忠。進入筑前。政則及郡人文室忠光等拒之。頗有殺獲。賊又至那珂郡。隆家再遣大蔵種材猛険要。賊舩奄至。欲焼衛所。府兵奮戦破之。賊退于能古島。又寇志摩郡舩越津。隆家政則豫遣兵邀撃。賊又逃去。隆家遣政則平致行種材等。発舩三十餘艘追撃走之。……
※菊池容斎『前賢故実』巻之六 後一條天皇朝九名 藤原政則
【意訳】刀伊の海賊たちが対馬・壱岐を襲撃。壱岐守の藤原理忠(まさただ)を攻め殺し、筑前まで侵入してきた。政則は文室忠光らと共に防戦し、刀伊の海賊らを多数討ち取り、生け捕りにする。
また那珂郡(筑前国)に刀伊の海賊が襲来したので、隆家は政則と大蔵種材を派遣。ここでも奮闘の末に撃退、賊らは能古島へ退却した。
刀伊の海賊らはさらに志摩郡の船越津を襲撃したため、隆家は政則を急行させ、これを迎え撃たせる。
いよいよ刀伊の海賊らが逃げ出したため、隆家は政則・平致行・大蔵種材らを追撃を命じた。
政則らは三十余艘の兵船をもって逃げゆく海賊たちを追撃する。
……まさに三面六臂の大活躍ですね。こうした軍功をもって、後一条天皇は政則に錦の旗と御製の和歌を贈りました。
つくしなる 矢峰の嶽の ふもとには
たけき男の子(おのこ)の 住むとこそきけ※『愛国物語』神國日本 刀伊の賊
「矢」に「たけ(竹≒嶽、猛)」をかけているのが分かります。「筑紫に猛々しい政則がいるから安心だ、もう攻めてくるなよ」という内外へのメッセージに他なりません。
政則は父が帰京した後も大宰府に留まり、やがて肥後国菊池郡を賜り、息子が移住。これが後世まで続く菊池氏の発祥と言われています(諸説あり)。